ついに! 射手座の満月に楽曲アルバムをリリースした。
タイトルは「久遠(くおん)」。歌が6曲、ピアノのみのインスト3曲。

iTunesストアでの様子。これはスクショ画像。

久遠に変わらないであろう私の本質。
久遠に輪廻転生する魂のメロディ。
くおん(9つの音)。

いろいろな意味が込められています。

……なんていうのは、かっこつけ。最近の私は「かっこつけ」もたまには必要かもしれないと思っている。ずっと「演出」と「やらせ」の違いについて考えてきたけれど、「やらせ」は不要だが「演出」は時と場合によって必要かもしれない……と思う。この世界で生きるには。

さて。
ここから本題(今回も長いよ)。

いまアルバムをリリースしたのはなぜか。そこには「私の音楽を聴いてほしい」というおこがましい気持ちがある。だけど、根っこにあるのは「私は私を生きている」という叫びを、カタチにしたかったから。

私は、中高生のころシンガーソングライターになりたかった。恥ずかしいから封印した。あるバンドの歌詞を書き写したメモを見ただけで親が「詩なんて書いて」と嫌な顔をしたから言い出せなかったのもある。経済的理由で音楽ができる大学に行かせてもらえず音楽を主軸とできなかった家庭事情もある。

でも、大人になって気づいた。
なによりもまず、自分があきらめていた。
ずっと、自分に言い訳をしていたのだ。

編集者としては、人に教えることもできるが、まだ学ぶべきことがある。
ライターとしては、ある程度「お腹いっぱい」なぐらいやってきた。
インタビュアーとしては、ある種の自分のカタチを開発してきた。

でも、私の魂はずっと「ライターを目指していたわけじゃない」と訴えてくる。ライターという職業は大好き。でも、「ゴール」ではない。

私が好きなのは、言葉だけじゃなく、音楽もだから。

音でも表現したい。言葉でも表現したい。自分のなかにあるものを外に出したいのに出せない。そこには「やらない理由」がいっぱいあった。

・母がいつも私の自己肯定感をへし折るから。
・父が世間を騒がせるような詐欺被害の事件の被害者となったから。
・前夫が私の貯金300万円を勝手に全部使ってしまったから。
・「表現」なんて一部の才能がある恵まれた人がすることだ。
・「音楽」をリリースしていいのは「上手」な人だけだ。

……できない理由を見つけてきて、私は努力してこなかった。作詞も作曲もちょこっと手をつけるだけ。 「行動」する前に「思考」してあきらめていた。

考えてもなにも生まれてこないのに、考えてはあきらめて、流行っている歌を聴いては、「こんな、かっこだけで中身のない歌詞で、よくヒットするもんだ」「こんなだれにでも思いつくような歌詞で、なんで励まされるんだ」「ただ洋楽の○○をパクってるだけのコード進行をうまくアレンジしただけで、なぜ世間はかっこいいと認めるんだ。騙されやすいもんだ」と毒舌で批判していた。

でも、違う。私から見てカッコ悪いとしても、彼らはちゃんと楽器を、歌を、人に聞かせられるだけの練習をしている。バブル時代の薄っぺらい歌詞でも、曲がかっこよければ、私だって聴いてしまう。だれにでも思いつくような歌詞だからこそ、多くの人に響く。

そして、それは需要があるということだ。彼らはしっかりチャンスをモノにしているということだ。反省した。

足りなかったのは「覚悟」

彼らがデビューできたのは、彼らが「本気」だったからだ。本気でちゃんと「ミュージシャンになる」という「覚悟」をしたからだ。

私にはその「覚悟」が足りなかった。「なりたい」よりも「恥ずかしい」が優っていた。

だけど、傍観者としてプロに突っ込みを入れるほど、カッコ悪いことはないのではなないか。

   ステージに立たずして、ステージに立つものを笑うな。

……そう思えたのは、私が某有名ポータルサイトにて「恋愛コラム」を書く仕事をしたからでもある。私は恋愛コラムを本気で書いている。それは、若い世代の女子たちに「しっかり地に足をつけて、曇りなきまなこで男性を選び、共に成長していく楽しさ」を伝えたいからだ。自分の失敗から、若い世代の女性に、大切なことを伝えたい一心で書いてきた。それなのに、世間はちょろっと斜め読みをしただけで、記事を批判する。批判するために記事を読む。

日頃溜め込んだファイヤーな怒り(フラストレーション)を爆発させるために記事を読んでは切っていくのだ。

ボロクソに批判するコメントが書かれているのを見るたびに、愛情って届かないんだなと思った。世のため人のためにどれだけがんばっても、届かない人には届かない。それどころか、不必要にダークなエネルギーを向けられる。

  「じゃ、お前が書いてみろ」。

心の中で、そう思う自分がいた。そして、私は自分が、人が作った歌を聴いて不満な理由がわかってきた(いやいや、大好きな歌もいっぱいあるよ!!)。

そこには、「自分が本当はやりたい仕事をしている相手への嫉妬」があった。笑えてきた。

じゃ、自分はどうなんだ。いま、経済的に自由がゆるされない状況で、どこまでできるのか。まずは、やってみなよ。そう思って始めたのが、昨年からのシンガーソングライター活動である。それをより多くの人に、遠くの人に、見てもらうためにカタチにしたのが、今回のアルバムだ。

9曲目以外、すべて宅録。
1曲目以外、すべて音源聞かずに歌を録音。
6曲目のみ、アプリでPCの低周波をノイズ除去。それ以外はガレージバンドで少しノイズを下げたのみ。

全部の曲が同じ音量ではない。同じ音質ではない。それでも、ノイズ除去したら自分の声が変わったので、同じノイズなら「川の音や鳥の声」しか入らない状況で歌えばいい」と、そこは開き直って、車で20分ほど走った誰もこない道で車内で録音した。だからピアノは後から録音したものもある。

完全に素人の音源だ。

それでも私が「こんな歌を歌っています」「人生でこんなこと感じてきました」を伝えるには十分なツールだと思う。失敗もしているし、すべての音が遅れ気味(笑)。それでもきっと、伝わるものがあるし、必要な人がいるだろう、響く人がいてくれるはずだろう……そう信じてみた。

「完成された音」を求める人には買ってもらえなくていい。ただ、下手でも素人でも、「生きている」ことがしっかり詰まったアルバムになったと思う。

必要な人の手に届きますように。そう願って作った。そして、なによりも自分が自分のために作れたと思う。私が嫉妬した音楽配信を、私は自分でやってみた。技術もお金も足りないのはバレバレだけど、これがいまの私の等身大。経済や技術を言い訳にせず、ありのまま、いまの環境での最大の努力をした。録音も撮影も一人でやってみた。

いつも支えてくれた夫。
カホンで参加してくれた次女。いろいろサポートしてくれる長女と3女。
ピアノ伴奏でくださった音源を使わせてくださった浜崎祐吏さん。
いつも心の支えである「みんnanoライブ実行委員」の仲間たち。
音楽を聴いて「ぜひ、音源」にして!と言ってくれたり
すでに購入して聴いてくれたりしている友人たち。
いろいろな人の支えがあって、いまの私がある。

自分に言い訳をしない。私は、そこから始めたいと思う。

あ、でも、次のアルバムは経済的にもう少しゆとりを持って、スタジオで録音したい(笑)。

https://www.tunecore.co.jp/artist/fukko

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。