よく話題になる「女性あるある」として

①おしゃべりをして発散する
②会話の主題がどんどん脇道に逸れる
③「答え」があるのに相談・質問する
④「悩み」は聞いて欲しいだけなので話したらすっきり
⑤自分が好きなアイドルをいっしょに好きになってもらいたい
⑥方角がわかりにくく地図が読めない
⑦「かわいいもの」が好き
⑧要件のみの愛想ないメールは苦手
⑨パートナーの言動に疑問を感じても一旦飲み込む(溜め込みがち)
⑩愛されたい・守られたい・自分を見つけてほしい

といったものがある。でも、私にとって同感できるのは⑦⑧⑨ぐらい。

「女性性」「男性性」また「女性脳」「男性脳」という考え方については多様な捉え方がありますが、私は「偏見を持つため」ではなく、「パートナーシップを考えよりよくするため」には参考になると思います。とはいえ、繊細な問題ですので、私が考える「女性性」「男性性」については、過去の「女と男」のタグ記事をご覧ください。

私には「おしゃべりして発散」がわからない。ゆえに「おしゃべりが目的」で複数の女性たちと集うことはない。集うときの目的はだいたい「お互いの近況報告」。「おしゃべりが目的」での集いは、主に、ママ友などとの「つきあい」に限定される。つまり、今のように娘が全員大学生以上になると、それもなくなってしまった。

ママ友達との会話というと、だいたい、夫の愚痴、子どものこと、ワイドショー(芸能)の3本立てが多いのだけれど、最初の結婚があまりに大変だったので、伝えたところでわかってもらえるわけがないので、だれかに夫のことを話す気がしなくなっていった。

ここでまず共通の話題が減る。

夫の愚痴が本気の愚痴になってしまうので、話せなかった。さらに離婚して恋愛して、今度は年の差のある年下夫と結婚して異色な家庭を築いているために、ママ友達との会話に共通項目がさらに減ってしまった、というのもある。

でも、そもそも、昔から、女性のグループでおしゃべりするのが苦手だ。だいたい小さいころから女性の「話題」に「共感(同感の意での共感)」できないことが多くて楽しいと感じられなかった。だからとっても疲れる。

なかよしの友達と1対1なら話せるが、グループになると、とたんにしんどい。恋愛トークになると、私は彼氏とのつきあいがいつもだいたい長くうまくいってたので、ただの自慢になってしまうし、そもそも恋愛で悩むことってあまりなかった。

というか、よく考えてみると、自分のことで「相談」をしないタイプだ。ずっと「相談」されることばかりだった。

高校生以上になると、男子と夢を語り合ったり、哲学的な視点をお互いに話し合ったりすることのほうが楽しかった。

「どっちが似合うかしら?」みたいな答えが決まっている質問はパートナーにしない。本当に迷っているときだけ訊く。「悩み」も本当に夫なりの回答を聞きたいときに訊き、愚痴があれば「ちょっと聞いてもらっていい?」と許可を得るようにしている。

「自分の好きなアーティストやアイドルをいっしょに好きになってもらいたい」という気持ちについては心底わからない。「少年隊のなかで誰が好き?」「チェッカーズのなかで誰が好き?」という女子特有の会話が苦痛だった。なぜ「少年隊とチェッカーズが『好き』が前提なのか(笑)。友達なんだからいっしょに応援してほしいという前提で話をされるとしんどい。

たまたま好みが合えばうれしい。でも合う相手を積極的に探す気はない。

特に困ったのが、生活での現実問題で苦労していたアラサーのころ。私の頭のなかは、「どうやって子育てしていくか」「どうやって稼いでいけばいいのか」がぐるぐると渦巻いていた。子育てのこと、仕事のこと、当時の恋人のこと、母親とのこと、日々の悩みがたくさんあった。仕事も自営業なので、責任も重い。

そんなときに独身の女友達に、私にとっては全然興味が持てないアーティストの楽曲をCDやMDを何枚ももらうのは、かなり苦痛だった。聴く気にならない。正直に「興味が持てない」と伝えると、冷たいと思われる。その場しのぎで「そうなんだ」「よかったね」という表面的な会話になるなら、そのほうが失礼なことをしている気持ちになってしまうのだが、それでもいいから聞いて欲しい(できれば共感的に)という女性は意外に多いようだ。

音楽だけでも、クラシック、ジャズ、ソウル、R&B、ボサノバ、ロック、ポップス、アイドル(関ジャニ∞)……新旧洋邦あらゆるジャンルの音楽が好きだ。自然でも海も山も好き。宇宙の話が好き。映画もドラマも、フィクションもドキュメンタリーも好き。神社仏閣だけではなく、西洋の教会、美術館も好きだ。写真、絵画、造形、縫い物、ダンス、歌、読書……いろいろ興味が多い。昨年はハンドボール教室に通ったが、本当はクライミングも弓道もしたい。合氣道も復活させたい。

どれかに一つを「いっしょに好きになってもらいたい」という欲求は、多趣味な私にとって「拘束」のように感じてしまうのだ。そして、射手座の私は「拘束」が非常に苦手だ。

あぁダメだ。女子の気持ち、わからない。そう思ってしまう。

方角はだいたいわかるし、説明するのに方角を使う。もちろん地図は読めるし250ccのバイクでのツーリングが趣味だった。ただ、女性に伝えるときは建物や目印を伝えるように心がけている。

⑦この「かわいい」がちょっと一般的な女性と、微妙にジャンルがずれている。たとえば、「リボン」「フリル」「レース」「ピンク色」といったかわいいものには興味がない。

私が心を掴まれる「かわいい!」は、「赤ちゃん」「ぬいぐるみ・キャラクター」「小動物」などに限られている。赤ちゃんや、キャラクターのかわいさには涙が出ることがあるほど。

かわい過ぎると涙が出る。

姉にいつも変だと言われてきたけれど、今のところ、その姉の息子である甥っ子にしかわかってもらえない。どなたか同じ方いらっしゃいませんか?

ファッションでいうと、「帽子」「刺繍」「ピアス」「ブーツ」「アンクレット」がかわいいのは気になるし、収集癖はあるけれど、色は、白・黒・グレー・紺・ベージュ・水色・ラベンダー色などが好き。でも、それを人に共感してもらいたいとは思わない。

共感してもらえたらうれしいが仲間がほしいとは思わない。
たまたま見つかれば歓迎する。

⑧の「取り急ぎ要件のみにて」的な、男性のコミュニケーションは、ビジネス上は平気だけれど、プライベートではやっぱり嫌い(笑)。普段からちゃんと連絡をしようよ、と思う。飲み会に行くのに、場所も終わる時間も告げない夫とはよく喧嘩する(わが家は終電・終バスが早いので心配してしまいます)。夫には、一方的に「かわいいスタンプ」を購入してプレゼントして使ってもらっています(笑)。スタンプなら2アクションだから簡単なはず(?)。

⑨1〜2度は私が受け入れてあげたらいいか……と思ってしまい、3度目ぐらいに伝えることになるのだが、よく夫には「そんな前のこと覚えてへん」と言われてしまう。でしょうね。知ってる(笑)。でも女が「一旦、受け入れて我慢してあげてる」ということが「優しさ」だということは、ちょっとわかってほしいと思ってしまう。

ところが夫は「その場、その場で言ってくれないとわからない」という。でも、その場、その場で全部言ってたら、「口うるさい妻」になってしまうでしょう。そうなると今度は「いつも小言を言われてばっかり」と言いだすこともわかっているので、「矛盾してるわ……」と嘆いている(笑)。

さて、上記10個挙げた以外にも、私はすぐにいじけるし、泣き虫だし、怖がりだし、大胆だけど小心者だし、女っぽいところはたくさんあるとは思う。「責任持たなくて済むなら多少ラクなほうがいいわ」と「仕切る」ことを避ける。これは性別云々ではなく、末っ子育ちというのが大きいかもしれないけれど。

そして、ぶりっこしているつもりはないのに、ぶりっこだと娘たちに言われるのも、おそらく「末っ子気質」。性質的なものですね。離婚後に「一人二役で父親もやらなきゃ」と乱暴な口調で娘を叱っていた時期が一時的にありましたが、すぐやめた。基本的に家族間で一番年下だった私は、甘え要素が強い。

年上の方たちや男性がかわいがってくれるなら、妹キャラでいきます。ええ、それがずるいなんて思いません。

「かわいく話す」ことは「やさしく話す」こと。
相手を傷つけないコミュニケーションでもある。

男性に媚びる必要もないけれど、互いに心地よくなれるコミュニケーションがいいのは確か。同性に嫌われないためにとサバサバしたふりをして、ズケズケと物をいうことの意図も、私にはわかりません。

ぶりっこが嘘つきなのだとしたら
サバサバだって嘘つきでしょう。
どちらも仮面をかぶっているのだから。

自分のなかの女性性を膨らませているか
自分のなかの男性性を膨らませているか
そこの違いだけで、どちらも「演出」。

ズバズバという乱暴な物言いなんて男性のほうもかわいそうだし、女性も本当は「男性に女性扱いしてもらえないこと」って悲しいでしょう? 

どちらにもメリットがないのでは?

それに、サバサバしたふりなんて、同性である女性に媚びを売っていることにはならないのでしょうか。異性に媚を売るな!と言いつつ、同性に媚を売るのはOKということ? そのあたり、私にはわかりませんが、どちらも方向性が違うだけで「どちらもとても女性的だなぁ」と私は思うのです。

さっぱりした男性的な部分を持っていることと
「男まさりな乱雑な態度を取る」のとは違います。

そして、かわいらしい話し方をすることと
「女を武器にして男に取り入る」こととは違うと思うのです。

実際に意図した悪女もいるでしょうけれど、仮に性格の悪い女に自分の好きな男が騙されたとしても、それは仕方のないこと。「表面的な女らしさ」にしか気がつけない男性側も浅はかだということでもある。それに、そもそも男に何を求めているのかと冷静に考えると

・サバサバした私の本当の魅力や女らしさに気づいて
・ぶりぶりした女の本性に気づいて


これって突き詰めると同じことを訴えていることになる。どちらも仮面を被っているわけで、それを見抜いてくれと。結局、やってること同じじゃないのかな? 表現が素直じゃなくてねじれている分、なんだか余計にややこしくない? 

ね、だから「どっちでもいいやん(笑)」と、私は思うのです。

どっちも過剰演出。どっちも茶番。どっちも女の子。
どっちも「かわいらしいもん」なのです。

そして、男性に伝えたいのは、

「サバサバした女子=かわいくない子」ではない。


ということ。サバサバ姉御系は、中身はとっても女の子です。女を捨ててるわけではありません。

サバサバした女性こそ、むしろ、ぜひ、女性扱いをしてあげてください。きっと女性陣からのポイントがアップしますよ。そういう女子のほうが「良妻候補」だったりします。

サバサバしている女性を演出=「同性の中での立ち位置をキープする」という戦略家……、つまり、「保守的」であり「責任感の強い人」とも考えられるのではないでしょうか。

逆に言うと、「サバサバしてるから異性でも友達としてつきあいやすい」というのは、甘い。相手は本気であなたを好きなのかもしれません。そこは注意して、その気がないのであれば、しっかり境界線を築く方法を考えたほうがいいでしょう。

すべては物の見方次第ではないでしょうか。次回、「女の子をやってみよう」「ぶりっこキャラになってみよう」と決意した、中学生のときのエピソードについて書いてみたいと思います。
  

ちなみに私はブリもサバも好きですが、私のルーツである小浜の「焼き鯖」は最高です!

福井県小浜市での「5リズムリトリート」が開催されますよ! 詳細は下記にて。寺嶋夫婦も参加します! 

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「ぶりとサバは似ている?」への3件のフィードバック

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