コミュニケーション ブラックシープの想い出 子育て

謝れない人々

「こんな大人にはなりたくない」と思ったことはないだろうか。

子どものときに身近にいた大人=実の親とは、私は価値観や考えが合わなかった。私の逃げ場は徒歩2分のところに住んでいた叔母の家。叔母と私は誕生日が1日違い。グラタンなどの洋食が好きで、タータンチェックが好きで、テニスのコーチをしていて人生楽しそう。共通点がたくさんあって夫婦関係も対等な印象で本当に心地よかった。私は週末になると叔母の家に泊まり、土曜の夜は母には禁じられていた『8時だョ!全員集合』を観て、日曜の朝には『ドラえもん』を観たものだった。昔はドラえもんは日曜日の朝に放映されてたのだよ(笑)。

厳格で教育熱心な母。
癒しと放牧の叔母。

この二人がいてくれたおかげで、今の私がある。つくづくそう思う。そして、家庭内の一番の理解者は、大好きな姉。私は、姉の影響を受けすぎていた。姉は母の価値観を受け継ぎつつも、母をいつも冷静に距離を置いて見ていた。「お母さんはあぁいう人よ」「どうしてまともに言い返すの?」と、クールな姉によく言われていた。

両親は姉をかわいがっていたので、姉にとって、両親は「ちょっと厳しいもののいい両親」だったのだろうと思う。両親どちらからも体罰を受け「矯正しなければ」と思われていた、いわゆるblack sheep(厄介者)な私にとって、両親は「立派な親」である一方、ポイズンな親だった。

詳細はさておき、小さいころから、母のことでとにかく嫌いだったことがある。それが「ごめんなさい」が言えないということ。

私の母は驚くほど「自分の非を認めない人」だった。

謝らない人というのは、いわゆる「共感」ができない人でもある。会話のキャッチボールができない。相手の言葉を一旦キャッチするということをせずに、いきなり叩き落とす。テニスのスマッシュのように。私は、それが子ども心に悲しくて仕方なかった。

叱られたときに「私はこう思ったから」と理由を必死で伝えても、「そうなのかもしれないね」とは一切言わない。うっかり間違えて叱ったと気づいたとしても謝るどころか「普段から疑われるようなことをしているあなたが悪い」。

そう。彼女の世界では「すべて相手が悪い」。
正しいのはいつも「母」なのである。

叱っているときには
「あなたは間違っている」と言う。

少し冷静なときには
「あなたはそう思うのね」と言う。

カウンセリングで頻繁に使われる言葉だが、「あなたはそう思うのですね」「そう感じるのですね」というのは、責任回避するのに便利な言葉でもある。

しかしそれは「受け取り方が違うだけ」「私は悪くない」と言っているのと同義だ。「絶対に謝らない人」の王道のパターン。本当に「大人」ならば素直に非を認めるはずだし、無自覚だったとしても心のゆとりがあれば、「そう思わせてしまうような言動をしてごめんなさい」まで伝えることができるはずだ。

私は、「謝れない大人」には絶対になりたくない!と思っていた。だから、どれほど相手に嫌なことをされても、9対1で相手のほうが悪くても、自分にその「1」の非があるのなら謝罪する。潔く気持ちよく生きていたい。

子どもたちにも必ず謝る。
年齢や関係性など関係ない。

「さっきは、ママが言いすぎたと思う」「ママね、ここんとこイライラしていたのをぶつけてしまったと思うわ。あなたがしたことについてあそこまで言うことはなかったのに」 と、ごまかさずに正直に謝罪する。長女は「ママは娘に対してそんなにちゃんと謝らなくていい!」なんて言っていた。散々、反抗しているのに、だ。おもしろい。

また、私は、子どもたちにも「強制的に謝らせる」ということはしない。私がいつも気持ちがついていけないまま謝罪させられて、すごく理不尽だったから。母の叱り方にはパターンがあった。

・「謝りなさい!」「もう絶対にしません!と約束しなさい!」と怒鳴られる。
・怖いので謝る。言われた通りに「もうしません!」と泣きながら言う。
・すると母が「正しい母」をするために私を抱きしめる。
・私は理不尽さと抱きしめられたうれしさとのカオスのなかで泣く。
・数日後、同じことをやってしまい「もうしないと言ったでしょ!」とお尻を叩かれる。

この繰り返しだった。この「同じことをやってしまったとき」の母から伝わってくるのが、いつも「待ってました!」というエネルギーだったのを感じ取っていた私はいつもその気持ちの悪い「不可解さ」を飲み込んでいた。母への疑問は、そうして膨れ上がっていった。

ちなみに「もうしない!」と約束させられたほどの「悪いこと」とは何か。

・人前で感情的にならない

ということ。幼少期に「感情的にならない」と約束させられる。どんな「感情」も落ち着かせてから家族の前にくるように約束させられる。大人でこそ、今「アンガーマネジメント」などという言葉が出てきていますが、幼少期に誰が自分の感情をコントロールできると言うのでしょうか。

その「感情を出す」ことが、母にとっては「ものすごく悪いこと」なので、どれだけ行儀よくても勉強ができても、私は週に1度は約束を破ることになり、待ってました!とばかりに母に怒りをぶつけられることになってしまう。

それは、ものすごいエネルギーでした。2歳下の従妹は「鬼婆みたい」と言ったほど(笑)。

母自身が、ずっと祖母や祖父から受け取れなかった愛情への憎しみ、恨み、つらみなどの蓄積してきた数十年分の「火の玉」なので怖いに決まっている。

そんな「しつけ」が大嫌いだったので、私は、娘に叱るとき、とにかくスペース(時間と距離)を与えるようにしてきた。「考える時間」が必要だと思う。

・謝りたくなったら謝りにおいで
・無理はしなくてもいい
・だけど「ママの機嫌が治った。嵐が通り過ぎたから大丈夫」という捉え方はダメです。ママには通じても、ほかの人にはそれは通じないからです。必ず「なぜ叱られたのか」を考えてみること。それでも「いや、謝れない。私は悪くない」と思うのなら、謝らなくてもいい。
・でも「しまった!」と少しでも思ったら、なるべく早く謝ったほうがいい

……そう伝えてきました。

間違うことがない人間なんて、いない。子どものときからずっとそう思っていた。大人だって間違えることがある。親も、学校の先生も、みんなそう。

お母さんはいつも「正しいお母さん」なんかじゃなくていい。
間違ったと思ったら謝ればいい。


ただ「ごめんね」と正直に伝えるだけのことが、なぜできないのか。その頑固さも、勝気さも、私には不思議で不思議で……。なぞだった。

母が必死だった理由

7年前、母は癌で亡くなった。そこから私のなかで「母」を受け入れ、ようやく母のなかにある光と影の統合がなされてきたのだけれど、先日、久しぶりに母の夢を見てわかったことがある。

母はずっと「怖がっていた」。
母はずっと「嫌わないで!」と叫び続けていた。

母曰く「なにもかも見透かしたような眼で見てくる子ども」だった「私」という存在を、母はきっと育てながら不安に思っていたのでしょう。

母は、私を嫌っていたのではなく、ただ私に愛されたかったのだ。

そう考えるとなにもかも辻褄が合う。自分を嫌ってほしくない!という思いから、私をマインドコントロールしようとしていたのかもしれない。

小さいころから、私は、虫の目と鳥の目、2つの視座を持っていた。鳥の目は自分を外から見ている視点だ。感情的になっているとき以外は、この鳥の目で物事を客観的に見ていた。もしくは、両方同時に見ていた。この俯瞰する視座である鳥の目は、感情的になると作動しなくなるのだった。

でも、年齢を重ねるにつれて、自在にフォーカスできるようになり、今は、かなりどちらにも簡単にピントを合わせることができる。

その先日見た夢のなかで、私は、鳥の目で母を見ることができた。すると、母が「不安に震えている」のが驚くほど伝わってきた。涙が出てきた。

「私を嫌わないで!」「私の味方になってくれるために子どもとして生まれてきたんじゃないの?!」と、母のなかの小さな女の子が、足をぐっと踏ん張っている様子が伝わってきたのです。

実は、夫といると母のことを理解しやすくなります。それも、きっとご縁。そして、私は夫の母と似たところがあるので、私はいつも義母の味方です(笑)。とはいえ「味方になる」ということは「同感すること」ではないのですが、その話は、また別の機会に。

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