「ご指摘ありがとうございます。次回より気をつけます」
こんなテンプレートを盾に「謝罪」をしない。
そんな人に、この3年で2人出会った。
どちらも30代の自営業の女性である。
今回は(も?)、最初にちょっぴり毒を吐かせてください(笑)。
厳格な両親に禁止や命令の言葉ばかりで育てられ、逆に「言わないことが美学」「アドバイスは余計なお世話」だと思い込んでいた私ですが、この10年ほどは「厳しさ」を併せ持つこと「NO」と人に伝えることを自分に課しています。
多少嫌われても、伝えるべきことを伝える。嫌なものは、嫌だと伝える。ただし、言う相手や状況は限定して。「言わない優しさ」よりも、「言う優しさ」を選んでいるということに自分でも驚いています。母を認めてきた証拠なのかもしれません。伝え方としてはやはり「アイメッセージ」を意識しています。
さて。先の「ご指摘ありがとうございます」の女性たち。
私よりも10歳以上年下であり、似た職種として、業界としての経験が、私よりかなり少ない。私から見ると、ツッコミどころ満載というのが正直なところだ。厳しいようだが、この年齢なら、ここまで到達しててほしい、という個人的な理想の半分にも満たない……というのが本音。
本音を押し殺して(汗)仕事で関係する以上、業務遂行のために指摘せざるを得ないことのみ、いたし方なく伝えてみたときの返答がこれだ。判を押したように毎回、指摘する度に、この言葉が返ってくる。
どうやら「申し訳ありません」の代わりに、この言葉を使っているようである。プライドが高いのだろう。本当に反省しているわけではなさそうで「次回」も、ほぼ変化はない。もちろん成長もない。だからこそ、このレベルにしか到達していないのだろう。
……あぁ、もったいない。と、私は非常に残念に思う。人の言葉に耳を傾けられなくなったら「成長」は止まる。伸びない人は、プライドが高いものだ。そこで影でちゃんと努力できればいいのだが。
「耳を傾けられない理由」は、おそらく「かっこ悪い自分」を知りたくないから。気づきたくないから。10〜20代のうちに「悪足掻き」をしてこなかった人たちなのだろうと思う。
指摘されたり、叱られたりした経験が少ない……つまり、学生時代に成績がよかったり、社会人になってからは仕事上甘やかされてきたりしたのだろう。切磋琢磨するような、「デキる人ばかりの職場」では打ちのめされることばかり。悪足掻きもするが、素直に自分の非を認められるはずだ。
悪足掻きしてかっこ悪い自分と向き合うのは、若いうちはいいけれど、社会人になってからはかなりの勇気が要る。30代にもなればなおさらのこと。
自称「大人」だから。
でも、「大人」になることと「完璧」になることは違う。「大人」には「演技力」「平気なふり」だけでなれる。演技して平気なふりをしてそつなくこなしているつもりになる。
そうして曇ったガラスの向こうで生きる。自分の短所を指摘する人を悪者として遠ざけ、耳を傾けず「成長」を止めて大人ごっこ。
大人のふり。
幸せのふり。
いい人のふり。
一生懸命「どう見られるか」を軸に生きる。
彼らにとっての「いい人」とは「自分を評価してくれる人」「自分を傷つけないでいてくれる人」「演じた通りの自分を見てくれる人」。つまり、「自分の本質を見抜く」人は、彼らにとって敵となる。
でもこの地球に「まったく影のない『良い人』」はいるだろうか? 「どの角度から見てもツッコミどころがないカンペキな人」はいるだろうか?
光あれば、影がある。
光だけの人間なんていない。
誰からも叱ってもらえない自営業。ダメだと思ったら切られるだけだ。生き残っていくにはコツがある。
それは、自分から『自分ができていないところ』を聞いていくこと。自分から『仕事を切られた理由』を真摯に考えてみること。
取引先のせいにしたり勤めた会社のせいにしたり、“人のせい”にしているうちは、伸びない。成長が止まったままだ。そのレベルの仕事しかこなくなる。
女性は若いうちは「かわいい」なら仕事はもらえる。学歴がかなり高いのなら仕事はもらえる。ただし、「質」を問わない相手とばかり仕事をしていくことになるので、大手企業と取引きするのは不可能だろう。
そして、年齢とともに消えていく。
私の周囲のライターも消えていった。私より学歴が高く新卒採用でリクルートに入社した期待のエースだった編集者も、今は、この仕事をしていない。
ライターなんて名乗ればだれでもできる。仕事の質を問われなければ。デザイナーだって、そう。デザインの勉強をしていなくても、イラレのソフトが使えたら「デザイナー」と名乗れる。読み手の視線などなにも考慮していない印刷物は山ほどある。多くのデザイナーは、「オペレーター」でしかない。自分の提案ができない、「なんとなくいいと思った」だけでデザイン配置する「自称デザイナー」は多い。
そこで生き残っていけるのは、だいたい「本当にめちゃくちゃ仕事ができる人」、もしくは「仕事はそこそこできて人当たりのいい人」である。
ちなみに私は、そのどちらでもない(笑)。
「仕事はそこそこできて、人当たりもそこそこだが、反省して柔軟に変化し続けている人」である。たぶん。そして、インタビューも執筆も、愛を持って丁寧におこなう。そういうところを評価してくれる場で、生き残ってこられたのだと思う。
「聞く耳を持つ」ことは、共に協力して仕事をしていくうえで非常にポイントが高い。
「大人」になるとだんだんだれにも注意されなくなる。注意されなくなると「これでいいのだ」と思い込み、それ以上を目指さなくなる。知らない間に置いてけぼりにされる。自分の非を認めない人は、そんな自分にOKを出して「自分はできる」「相手が悪い」という思考を繰り返す。
その姿勢は、仕事だけじゃなく男女関係も、親子関係も、すべてにつながる。
聞く耳を持てない人は人とつながれない。孤独になっていく。いや、完全な孤独はないだろう。「相手の本質」を見て見ぬふりをするような、甘やかし合う関係なら続けていけるはずだ。
心理学でいうところの「自己成長のシステム」において「役割の層」に位置する人たち同士でならつきあえるが、見て見ぬふりをしている間は、次の段階の「内破の層」にはたどり着けない。
聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥
という言葉が私は大好きだ。
「知らない」って言葉を言うのが嫌いな勝気な人種も存在するらしい。私には理解不能だ(その代わり、あきらめも早い 汗)。
私はインタビューでも知らないことは正直に「知りません」「勉強不足で」と言う。インタビュー相手のことについては前準備して知っておくべきだが、「知らない」よりも「知っているふりをしてごまかす」のが、なによりも相手に失礼だと思っている。
それに、私は「かっこ悪い自分」が好きだ。そして、「内省しなければ先へ進めないのだ」ということを知ったのは小学生のときだった。「そんな人はめったにおらん」と禅の老師が以前、おっしゃっていた。小学生でわかる必要はないのだろうし、私は相当な変人なのだと思う。
でも、せめて20〜30代のうちに「かっこ悪い自分」と出会ってほしい。
そう。若い世代を見ていて思う。
独身の間に、悪足掻きしてみてほしい。
「かっこ悪い自分」を愛でてみてほしい。
等身大の自分なんて、かっこ悪いもの。それでいいの。すごくかわいいよ。いつもそこからスタートすればいいだけ。
社会人になると「大人になったつもり」になるかもしれない。でも、人生70年の時代。まだ半分にも達してないんだよ。人生、「かっこ悪い自分」をどれだけ認めて愛でてあげられるかだ。
それが多いほど、子育てに心のゆとりができる。
「ママも超絶かっこ悪かった」。 そういう角度から物事を見ることができると、子育てしていて 「あなたはどうしてそんなことするの!」なんて、おこがましい言葉は出てこないし、ストレスも溜まりにくい。
私なんて一生ずっと半人前だ。そう思っていれば、子育てしていて「あぁ、子どもって私に教えるために生まれてきてくれたんだ」、なんて思えるからラッキーだ。「私が全部教えてあげなきゃ」なんて、必死にならなくて済む。
つまり、「かっこ悪い自分」を受け入れると
人生に「ラッキー♪」が増えるのだ。
「親」をすることに必死な人は自分の小ささに気づいていない。「あら、私って小さいわね」って本当に気づけて、認めてあげられたら「親子は育ち合うもの」なんだと思える。
謝罪しない人は
一生「隠し続ける人」だ。
一生「大人のふりをし続ける人」だ。
私は、そういうタイプの人が「幸せそうに生きている」のを見たことがない。いつも人にどう思われるかを意識して、新しい人と出会う度に、敵か味方かジャッジして振り分けていく……なんだかしんどそうだ。
なによりも「かっこ悪い自分」を受け入れられない「自分を成長させてあげる」ことができない人は、自分の「魂」を大切にしていないということではないだろうか?
「魂」ごと「自分を愛する」ということは、生まれてきた意味を見つけて(思い出して)あげること。そう思うと、やっぱり「ダークな自分」「ダサい自分」を
認め、受け入れ、愛してあげて、癒してあげて、魂をグンと育んであげることが「愛」だと思うのだ。
これを繰り返していると
瞳の輝きが変わってくる。
周囲に「強さ」「かっこよさ」を求められて生きている「男性」は、私たち女性より、自分の弱さを認めるのは難しいかもしれない。女性はわりと弱さを表現しやすい環境にある(別の大変さはある)。
弱さと素直に向き合えるようになると「目力」がアップして、魅力的になる。そんな人がモテないわけがないと思うのだが、連れ合いがほしいと思っている方、いかがだろうか。
弱さを吐き出したい方、老若男女問わずいつでもこちらまでご連絡くださいね。どんな弱音も、お聞きします。それは裏返せば、「あなたの魅力」でもあるはずだから。
だれにでも「弱さ」はある。そして、「弱さ」と同じだけの「強さ」がある。
光と影は、同じだけあるものだと、私は思っています。