今日、気分転換に滋賀にある神社へ一人で行った。外出自粛で家に籠もっていると気分が落ちてくるので、琵琶湖近辺の明るくて広い空間を感じたかった。神社に着いてお参りしたあと、木々が生い茂った境内を歩いていると、背中が軽くなって、視界がスッキリしてくる。空間的なスペースを感じることで、心身にもスペースができることを改めて感じていた。

 帰る前にトイレに行くと、女性が男子トイレの個室から男性を引きずり出そうとしていた。ただごとではない雰囲気だったので、「どうかされましたか?」と声をかけてみる。突然、年配の男性が身体に力が入らなくなって立てなくなり個室から出られなくなったそうだ。すぐにその男性に私に捕まってもらうように言い、男性を抱きかかえるようにしてなんとか個室から脱出した。

 しかし、男性は力なく一人では立てそうにない。とりあえずトイレから出て座って休めそうなところまで抱えて移動する。男性を座らせると、「しばらく休んでいると大丈夫。ありがとう」と言われ、私がいると気を使うのかなと思い、連れの女性が「なにかあれば救急車を呼ぶので大丈夫です」と言うので、そこを離れることにした。

 神社の境内に戻って歩いていると、さっきの女性が走ってくる。「神社の人に救急車を呼んでもらいます」というので、今男性が一人でいるのは良くないと思ったので、私は男性の元へ走った。男性は座っているのも難しく頭から崩れ落ちそうになっているところだった。「横になったほうが楽ですか?」と声をかけながらゆっくり床に寝かせた。床から身体が冷えるだろうと思って、私はコート脱いで床に敷こうとしたが、「大丈夫です」と言われた。男性の顔色はあまりよくないが意識はしっかりしているのでよかったと思った。女性が戻ってきて救急車が来るまで、私にできることは男性が少しでも楽になるように背中に触れることぐらいだった。

 この数年、こういう状況に出くわすことが増えた。目の前で人が車に引かれて救急車を呼んだこともある。今は自分にできることをなにかやらなきゃって多少動くことができるが、前はできなかった。仕事の打ち合わせに遅れそうで急いで歩いていたときに、10メートルくらい先で信号待ちをしていた人が突然倒れてアスファルトに頭を打ちつける瞬間を見たことがある。そのときは駆け寄って「大丈夫ですか?」と声をかける勇気がなかった。勇気がなく身体が動かないのを、「他の人がなんとかしてくれる、私は忙しいから」と自分に都合のいい言い訳をして、見なかったフリをしたことがある。思い出す度に「なにかできたんじゃないか?」とモヤモヤする。当時はそういうときにすぐに手を差し伸べられる人が羨ましかった。

 今日の男性がどうなったのかはわからない。より良い状態になることを望むばかりだ。しかし、このできごとがきっかけで、私はなにがしたかったのかがわかった。私は「人に優しくしたい」のだ。人に優しくしたいから「ボディワーク」をしているのかもしれない。このことが腑に落ちた瞬間、身体から力が湧いてくるのを感じた。今日は期待以上の気分転換ができたようだ。

脱力から心身のパフォーマンスを上げるUnfolding Bodywork

ストレス刺激、電磁波、食べ物などあらゆる刺激を受け、身体は緊張を蓄積し続けています。そして、私たちは身体が持つ本来の力を使えていないことに気づいていません。現代人に必要なのは緊張から解き放たれるために「脱力」すること。脱力さえできれば感性が開き、心身のパフォーマンスが上がってきます。

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