先日、映画のエキストラに誘われ、明治時代の衣装を着られる貴重な機会だと思い参加した。
 朝6時に撮影所に着くと、100名ほどの人で賑わっていた。控室で待って名前を呼ばれた人から着つけをしてもらう。女性は髪結のかつらに着物を着て、いかにも時代劇といった感じだ。どうやら印象で衣装を決めているようで、私の衣装は当時ハイカラだったスーツになった。それから感動的で重要なシーンを撮影することを聞かされ、撮影スタジオに案内された。
 15分のシーンを撮影するのに、カメラの位置を変えて何度も撮影をする。その度に新たな演出のアイディアが練り込まれていく。変わり続ける演出に役者もスタッフもエキストラも一緒になって合わせていく。だんだん同じ目的地へ向かう仲間のような気持ちになってくるから不思議だ。こうして映画が作られるのかと感心していると、突然、目の前にカメラが置かれ、レンズが私の方を向いている。演出家のような人から「気持ちを入れる」ように言われるが、熱い想いを語る主人公の言葉にあまり共感できないのだ。しかし、そんなことは言ってられない。演技経験がないのに、あれこれ考えて演技をしようとすることに無理があると気づき、主人公の言葉を身体に染み込ませ、起こってくる感性に任せてみた。すると、考えもしなかった言葉や演技が出てきたのだ。このスタジオにいる人たちは真剣そのものだったが、私はエキストラを画面の隅に映る添え物のように気軽に考えて、言われるがまま作業的に演じようとしていたことに気づいて恥ずかしくなった。私は主人公の言葉に共感できなかったのではなく、演技をしようとしすぎて、言葉を受け取ろうとしていなかったのだ。
 何かをしようとしすぎると、相手をしっかり見たり、感じたりすることが難しくなってしまう。それは体験不足がバレないように自分を守ろうとする行動からくるのではないだろうか。あらゆることを体験したことのある人はいない。体験不足があるのは当たり前だ。今の私で充分じゃないか。
 この映画の公開は2021年だそうだ。見たいようで見たくない微妙な心境だ。なぜなら、ぴっちりセンター分けで海苔のようにガッチリ固められた明治時代の髪型をしているからだ。そんな変な髪型で大スクリーンに映し出される体験は、なかなかないから観に行こうと妻に言われそうだ。

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