コラム シンガーソングライター

人に伝えて初めて自分のものに

最近、「親和性」というものについてよく感じることがある。

例えば、「食生活」。「農薬」を避けるべく無農薬野菜を食べると「肥料」に使われている鶏糞や牛糞には、その家畜を育てるためは抗生剤が使われているので、無農薬野菜=抗生剤の過剰摂取の危険性があるのだとか。そういう情報を知るうちに、いったいなにを基準にすべきかわからなくなるが、結局「自分の身体に合うものを選べ」ということなのではないかと。

食事だけではない。なじむ人。なじむ言葉。なじむ土地。肌なじみみたいなものって大切だなぁと(なじまない=ダメ、という短絡的なものではない)。

不思議なもので、自分の作った楽曲は、ライブをして発表してからのほうが自分となじむ。まるで、人前で歌ったり弾いたりして、だれかに伝えることで、楽曲が完成するかのようだ。

楽曲の持つエネルギーがだれかに伝わりそれが自分に返ってくる。そうやってエネルギーがめぐることで、楽曲は完成し、さらに自分と一体化し、その曲が弾きやすくなり、歌いやすくなるのかもしれない。

中高生のころ、こっそりと歌を作っていた。でもなぜか1曲も完成できなかった。その譜面たちが先月出てきた。なかなか長い曲を作っていたりするのに、結局、「起承転結」の「転」で終わっている状態だ。始めるのは得意だが続けるのが苦手。そんな私の性格が丸出しになっているような気がした。

でも、なぜ最後まで作れないのか。いまどんどん作曲できるようになってわかったことがある。

その理由は2つ。一つは自分を信用していなかったから。そして、もう一つは「嘘が苦手」という自分の性格と関係している。

社会人バントを始めた18年前から、ライブハウスなどでオリジナルを歌ったり弾いたりするシンガーソングライターやギタリストに出会ってきたけれど、上手下手とか好みとか以上に、そこになにか「伝わるもの」があるかどうかが関係あるなぁと感じている。

例えば、ギターの弾き語り。フォークソングは私は普段聞かないのだが、その人のエネルギーが歌に乗っていると感じるとき、私は最後まで聞いてみたいと思えるのだ。逆に、このままもうデビューできそうな程度の完成度の曲を歌う、若さとかわいさを兼ね備えた女の子でも、「上手なんだけど、それだけでなにも感じないなぁ」という歌もある。

結局、「文章」と同じで「作者の心が動いているかどうか」が関係するのかもしれない。私たちの文章もそうだ。ライターが心動くことなく、ただ聞いたことを伝えるだけのレポート的な文章しか書けないライターもいる。

それはそれで対象との「距離」があっていいということもある。ただ、インタビュー記事で、その方の魅力を掘り下げて表現したいとき、そういうライターには魅力的な文章は書けない。

編集者でも同じこと。心が動かない編集者はなにを基準にリライトするか。「正しいかどうか」」「真実かどうか」だけだ。そこに「愛」がない。「感動」がない。

「感動」とは、心の動きだ。心が動くことで、波が起こる。風が起こる。そうして文章や歌にそのエネルギーが乗っかった曲なら、上手下手以上に、人の心を揺り動かすなにかが出てくるのかもしれない。

私はインタビュー記事を書くとき、その方のエネルギーを思い出すようにしている。もちろんインタビュー時に、まず、その方と同調していくことは基本だ。恋するぐらいに相手に興味を持って話を聞く。そうして引き出した話を、その方のエネルギーを尊重したまま文章にするようにしている。

同じように、曲を作るとき、私はそこに「嘘」がないかどうかを大切にしている。「雲ヶ畑」は特に、曇りなき状態で作れた一曲だ。

以前から、このサビのフレーズは雲ヶ畑でのんびり散歩しているときに頭のなかでなりだしたフレーズだが、そこから進んでいなかった。でも先日、雲ヶ畑にある志明院に行ったので、翌日、そのまま目を閉じて感じながら書いていくと不思議なぐらいにサビからその前後のフレーズがつながっていき、イントロまですぐに浮かんだ。

実は、夫婦の初デートは志明院だった(大阪から遠いよね)

そうやって作った曲は、不思議と自分を癒してくれる。

自分の作った曲を聞いたり弾いたりして、自分が癒される日が来るなんて夢にも思わなかった。そんなことってナルシストだけができることだと思ってた(笑)。

いま思えば、過去に作っていた曲には「かっこつけ」という「嘘」があった。「どうすれば曲としておかしくないか」
「どうすれば『それっぽい曲』になるだろうか」
と、他人軸。いまのようにペルソナをほとんど脱ぎ捨ててしまった状態とはまったく違う。

「かっこつけ」という嘘が入ると、とたんに曲はエネルギーが失速するのかもしれない。それでもなお、大勢の人に届くようにするには、今度は、逆に「テクニック」や「完成度」が必要な気がする。聞き手との間にある「共通項」としての「ペルソナ」も必要かもしれない。そのあたりはこれからも研究課題。

とりあえず、いまは、嘘のない「私の感じたエネルギー」を曲にしていこうと思っている。そして、その嘘のない曲を人に聞いてもらったとき、その曲がとても喜んでくれる(気がする)。そして、そのためにも、私は普段から自分をしっかり見つめていく必要があると思う。

使っている言葉、着ている服、日々の暮らし方。それは、本当に必要なことなのか。私らしいかどうか。そこにぐるぐるとしたダークなエネルギーを持っていないか(苦笑)。親和性を自分に問い続けよう。

その曲の持つエネルギーを、そのまま伝えていくために。

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