5月の連休には、夫の会社……もとい、現在は業務委託先である企業さんの毎年恒例のスタッフ向けバーベキューイベントがある。そこで社長に「インタビューが好きなんです!」という話をしたことから、私も、その会社の広報誌の編集を3年間携わらせていただいた。

この会社とは不思議なご縁。19年前、私は三女のアトピーに悩んでいた。彼女を連れているといつも、全然知らないおばあちゃんに
「あんたまぁ、かわいそうにこの子、なんとかしてあげなさい!」
「母乳? ちゃんとしたもん食べてる?」
と責められたり、某ネットワークビジネスの格好のターゲットにされたり、いろいろな情報に嵐のように踊らされたりしていた。

その当時、検索して情報収集していたときに見つけたのが「木酢液をお風呂に入れてあげたらいいよ」という情報。そこで探していてヒットしたのが、この会社の創業時代だった。なんだかちょっと面白そうな一癖ある社長(当時はメガネのおにいさんというイメージ)が京都で面白そうな会社をしている……という印象だった。ときどき注文しつつ、関わってきたこの会社に相方が入社したのが4年前のこと。

そこから毎年、欠かさずバーベキューに参加している。

スタッフが子連れでいらっしゃるので、幅広い年齢の子どもたちがいっしょに遊ぶ姿が見られてかわいい。毎年、相方は「若手のオトナ男子」として、少年たちに誘われ本気でいっしょに遊んでいるのだが、今年は庭を広々と使ってドッヂボールが始まった。

相方は本気で投げるので、スピードも速いし、子どもたちも本気で向かってくる。社長の娘さんも一見大人しそうに見えるのに、相方にはかなり本気の重たいボールを投げていてかわいい。

そんな場面を見ていて思いだした。

娘たちが小学生のころ、参観の後に「親子ドッヂボール大会」が何度かあった。私はドッヂボールが大好きだったので、「大人が参加できる!」ということにわくわく。しっかり動ける服を着て参観に向かったものだった。

ドッヂボール、好きですか?

私は、得意とはいえないけれど、ドッヂボールが好きだった。小学生のころは小柄で学年1、2位を争うほどのチビだったので、いつも、最後までちょこまかと逃げ回って、みんなが外野に出てしまってスペースが空いてから、自分のところに来るボールを仕方なくキャッチして、本気を出すタイプだった。

でも、中学のとき一年だけ全国大会に出るほどの強豪ハンドボール部にいたので、そこからボールを投げたり受けたりが少しだけ得意になった。ゆえに子どもたちとドッヂボールなんて考えただけでわくわくする。

ところが。
親子ドッヂボール大会でのお母さんたちは、驚くほど子どもに対してボールを投げない。キャッチしても、それをすぐに近くの子どもに渡すのだ。

私は、小学生となら本気で投げ合いたい。高学年にもなると野球部の男子などが、手加減して当ててくるので、それをキャッチしてこちらは本気で投げ返す。するとその男子が「びっくりした〜!」と言いながら、今度は手加減せずに投げ返してくる。それもキャッチする。すると男子から「うぉ〜っ!」と声があがる。成人男子の顧問のハンドボールをキャッチする練習をしていた経験から、小学生男子のボールならなんとか受けるだけの勇気はある(笑)。

「本気で投げても大丈夫そうだ」とわかった野球少年たちがキラキラしながら投げてくるのが楽しかった。息子がいないので、なお、楽しいんだろうと思う。

ほかのお母さんたちからは「子ども相手に本気出して……」と大人気ないとでも言いたそうな指摘をされたこともあった。でも、そうだろうか。子ども相手に本気出してなにが悪い?

お母さんたちオトナが本気で投げないのは、「大人の立ち場」を守りたいからではないだろうか。負けたくないからではないだろうか。

本気で投げてみて相手から本気で投げられたら困るのだ。本気で投げられたときに受け取る覚悟もないし、怖いから投げられないのではないか。

それって、親としての「在り方」そのものではないだろうか。

私は、子どもと本気でぶつかりあいたい。特に長女とは大声で怒鳴りあうこともあった。彼女には、お腹をけられたこともある。揉めているとき、私が勢い余って長女を押し倒したこともある。まだなにもしていないのに、「やめて! やめて!」と玄関に向かって叫ぶような計算高いところもある長女ちゃん。彼女とは本当にたくさんエネルギーをぶつけあった。このままだと虐待しかねないと思ったこともある。

だけどね。
「外に聞こえたらかっこ悪い」とか、「母親がかっこ悪いところを子どもに見せないほうがいい」とか、そんなことは思い過ごしだと私は思うのだ。

子どもが本気で生きているのに、なぜこちらが本気で向き合わない?

必死でもがいて生きているそのエネルギーを、私は受け止めたい。ただ拒否したり跳ね返したりするのではなく、「ママはこう思う」を伝える。「ママの間違いはここかもしれない」「いまのは言いすぎた」など自分の非も認めながら、「あなたはどう思う?」「あなたはどうしたい?」と問う。大人のルールを押しつけるのではなく、「私はこう考えて、あなたを育てている」「間違っているかもしれない」「でもこう考えている」とすべて伝えてきた。

表も裏もあったもんじゃない。
本音も建前もあったもんじゃない。

そうやってぶつかりあうには、こちらも「裸」になる覚悟がいる。それでも、裸になれたからこそ、いまの親子関係があると思う。

ドッヂボールを投げなかったお母さんたちは、その後、どうしているだろうか。よそはよそ、だ。でも、私個人としてはいつも子どもだろうと「本気」で向き合いたいと思う。

手加減? そんなことは、子どものほうがしてくれているってことに、そろそろオトナは気づくべきではないだろうか。

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