歌を歌おうとすると喉が絞まる癖がある。私にとっては歌うことは息苦しいものでしかない。だから、二次会のカラオケはできれば避けたいものだった。
数年前から妻がシンガーソングライターをしている。私はCDジャケットをデザインしたり、印刷したり、ライブのときに荷物を運んだりしてサポートをしている。私には人前で歌うなんてできないと思うが、気持ちよさそうに歌っているのを見ると、羨ましく感じる。気持ちよく歌ってみたい。でも、どうして喉が絞まってしまうのだろうか?
伝統医学の視点で見ると、喉は心理的に「表現することへの自由」と関係しているそうだ。確かに声色や言葉は、感情表現の最たるものだ。そう考えると、私には表現に対する何かしらのブロッグがあることになる。思い返してみると、私の母は地声が大きく、ところかまわず私の名前を呼ぶので、一緒に出かけると恥ずかしくて嫌だった。私の地声も大きいので、母のようになりたくなくて、小さな声で話す癖ができてしまったのかもしれない。でも、声が小さいこともあまりいい気がしていない。話をしていると、「え?」と聞き返され相手の耳の向きが私の正面に向いてきたり、外食時に店員を呼んでも声が店員に届かなかったりする。そこで大きな声で話そうとすると、声の大きさに相手がびっくりして萎縮してしまう。妻には「怒っているように聞こえて怖い」と言われるが、そういうつもりはないので、どうしたらいいのかわからないでいた。
先日、散歩をしているとき、身体の後ろで組んだ手が呼吸のたびに微細に振動していることに気がついた。管楽器みたいで面白いと思って、声を出してみると、身体の中で声が強く響いて驚いた。それが気持ちよくて、もっと響かせるにはどうしたらいいのかを工夫してみる。声を出しながら、植物の根が下に伸びていくようにイメージしてみると、喉を絞めずに歌うことができてしまった。声の大小にとらわれて、身体を響かせたことがなかっただけだった。
それ以来、歌うのが気持ちよくて仕方がない。話すときも身体を響かせることを意識していると、声が届きやすくなってきたようだ。そして、ある欲求がでてきた。それは妻のように舞台でオリジナル曲を披露することだ。それで弾けないピアノの練習を始めた。私のぎこちないピアノの音が家族の団らんに笑いを響かせている。