「思考する癖をやめたい」という方がボディワークのセッションに来られることが多い。思考して行動することに、窮屈さや限界を感じ「行き詰まり」を感じているのだろう。
「考えたこと」が評価され、「感じたこと」は評価されない。
私たちはそんな世界に生きている。だから、考えを豊かにするために、情報を頭に入れたり、思考するための方法を子どものころから学ばされる。それに順応できると「頭がいい」と評価されるので、そのために頑張ろうとする。しかし、学校を卒業して社会に出ると、情報を頭に入れるだけでは、人生は豊かならないことに気づき始める。
情報は単なる情報でしかなく、人生を豊かにするために必要なのは「体験」だ。しかし、思考が情報で満たされると、体験したことがないことも、頭でわかったつもりになってしまい、実際に体験しようとしなくなる。これを「頭でっかち」というが、まさに頭が情報で肥大し、体験という栄養が不足して身体がガリガリになっている状態だ。頭が大きいのでフラフラして、自分の軸も定まらない。情報に左右されて、身動きが取れない。頭のなかが情報でいっぱいで、本当に自分にとって必要なことがわからない。と悩んでしまう。
まずは「体験」。「体験」から考える癖がつくと工夫ができる。
私はクラニオセイクラルというボディワークを学んだ。それは脳や脊柱の中に流れる脳脊髄液を感じとりバランスをしていくというもの。最初に脳脊髄液には微細な3種類の波があり、それらを手で感じ取っていく。と情報を伝えられる。最初に「微細な3つの波がある」と伝えられると、「多分、こんな風な波があるんだろうな」と思考して、その波を探そうとしてしまう。感覚は探そうとすると、思考が働いてしまいどんどんわからなくなってしまう。探そうとすればするほど、感覚は逃げていく。
私は最初に伝えられた情報による思考の呪縛により、それらの波を感じ取れるようになるまで何年も時間がかかってしまった。しかし、その体験から、私が人に伝えるときは、情報を伝えずまず自分でやってみてもらうことにしている。そこで「波のようなものを感じる?」とか、「波を感じたら、他にもリズムの違う波はないかな?」と質問していくうちにできるようになってしまうのだ。早い人だと数時間でできるようになるので、正直悔しい気持ちもあるが、体験から入る方が習得が早いこともあるようだ。
人は情報を伝えられると、まずその範囲内でやろうと思考してしまう。自分で可能性に蓋をしてしまうのだ。しかし、体験から考えるようになると、「もっとこうしてみたらどうかな?」と工夫できるようになる。可能性は無限大だ。
思考する癖をやめるには、身体を自由にすること。
すでに思考する癖がついていると、体験が人生を豊かにするとわかっていてもなかなか一歩を踏み出せないかもしれない。私たちは思考という目に見えない鎧を着ている。体験を増やすことは、その鎧を脱いでいくようなものだ。もしかすると、新しい体験で傷つくかもしれないと、思考がやったことのないこと、知らないことを「怖い」と感じるからだ。
思考の鎧を脱ぐためには、身体を自由にすることだ。身体は常に思考の管理下にある。身体が思考の管理下から自由になると、身体が雄弁に語りかけてくる。「本当はこれがやりたい」「あれはやりたくない」と。
身体を自由にするためには、身体を自由に動かすことだ。人は思考しているとき、身体は止まっている。逆に身体を自由に動かしていると思考ができなくなる。ここでのポイントは、自由に動かすということだ。腕を上げて、次は足を動かして、と思考して身体を動かしてはいけない。振り付けのあるダンスは思考のダンスだが、振り付けのないダンスは身体のダンスだ。
これらは私の体験から書いている。しかし、決して鵜呑みにしてはいけない。ここに書いているのは、残念ながら「情報」だ。私の体験は私にとって「真実」だが、あなたにとっては「真実」ではない。気になる人は自身にとっても「真実」かどうかを「体験」してみる必要がある。
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