商店街で鼓笛隊のパレードに出くわしたことががある。先日は人権侵害に関するパレードが行われていた。私は両手にたくさんの荷物を抱えて、通りを塞いでいるパレードが通りすぎるのを待っていた。先行する鼓笛隊が私の横を通り過ぎた後、人権侵害に関するメッセージが入ったティッシュやメモ帳、パンフレットを配る人たちが歩いていた。普段なら何が書いてあるのか知りたくて、それらを貰うことがあるのだが、そのときは両手が塞がっているので、もちろん貰いたくない。

 しかし、両手が塞がっている私に対して、ティッシュやパンフレットを無理やり渡してこられたのでびっくりした。そして、私がそれらを受け取れないことがわかると、荷物を持った手の指と指の間にメモ帳を挟み込もうとしてくるではないか。しかも、そのメモ帳はA6サイズくらいの大きさで分厚く、荷物を落としそうになる。さすがにカチンときてしまい、「これって人権侵害ですよね!」と叫んでしまった。この人に悪気がないのはわかるが、人を尊重することを伝えようとする行動で、目の前にいる人を尊重できなくなるのはとても残念に思う。

 私はメモ帳を受け取ることを拒否したが、同じような状況でもメモ帳を受け取る人もいるのではないだろうか。それはやることが多すぎて手が塞がっているのに、人からの頼まれごとを引き受けてしまうときに似ている。とりあえず責任感だけで引き受けてしまう。「やっぱり今はできない」と断ればいいのに、断るストレスより自分がやった方がストレスが小さいと天秤にかけるのだ。そうすることが当然で正しいことにしてしまう。自分自身を傷つけている。

 先日、人から「仕事でうまく行かないので、私のどこが悪いのか教えてください」と尋ねられた。こんなに素直に聞かれると、この人のために何とかしてあげたいという気持ちが沸き起こってくる。気持ちだけでなく、力も湧いてくるような感じさえする。正しさや責任感は若い頃は好きだったが、今は窮屈感を感じる。大切なのはわかるが、私は愛情から行動できるようになりたい。それは誰にとっても心地よい状態が生まれると信じている。

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