ドラムの生演奏で踊るイベントを主催している。プロのドラマーに即興でドラムを叩いてもらい、その音に合わせて即興でるというものだ。ダンサーと同じ空間を共有し、それぞれの状態を感じ取りながら即興で叩き出される音には、録音された音楽にはない、まるで血の通った生き物のようなエネルギーが宿っている。その音に身体が反応していくうちに踊りになるのだが、音に合わせて踊っているのか、音に踊らされているのか、わからなくなってくるから面白い。

 「ドラムでダンス部」と称するこのイベントには、暗黙のルールがある。それは「評価をしない」こと。私たちは評価されるために、がんばることを訓練してきている。自身がどうしたいのかよりも、誰にどう思われるのかを心配して行動を制限したり、経験がないだけなのに挑戦する前から諦めたりしている。だれかに監視されている訳でもないのに、そんなに上手くいくことが大事なのだろうか。

 ドラムでダンス部には、先生もいなければ、アドバイスをする人もいない。即興なので、そもそも上手下手がなく、人と同じようにできないといけないなど、人と比べて悩むこともない。私たちには良し悪しがあるのではなく、ただ違いがあるだけなのだ。評価をやめてしまえば、そのことがよくわかる。

 このイベントに、ダウン症の少年が参加してくれている。彼は踊るのが好きで、みんなで踊ることはもっと好きだ。彼はやりたくないことはやらないし、空気を読むこともしない。でも、人が踊っているのを見ては、「素晴らしいなぁ」「かっこいいなぁ」「好きな踊りだなぁ」と感じたことを素直に表現してくれる。表裏のない彼の言葉を聞くと、本当に感動しているのがよくわかるし、不思議と心が温かくなり、場が和やかになる。彼は空気を読んで場を取り繕うことに応じてくれないので、一緒にいると私も素直に表現せざるを得なくなる。まるで自分と向き合うセラピーを受けているような気分だ。彼は私の心を素っ裸にする機会を与えてくれているのだ。

 彼はダウン症の子どもたちのダンスチームのメンバーだ。「チームに入って一緒に踊ろう」と誘ってくれる彼の言葉や屈託のない笑顔が眩しすぎる。「言葉がストレート過ぎる」と家族に困惑される私は、どこか似ているのだろうか。それなら私に足りないのは笑顔なのかもしれない。

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