コラム 子育て

続・子育てでイライラする本当の理由

『子育てでイライラする本当の理由』として、前回は「自分を認めてもらえていない不安」があるのではないかという話を書きました。

今回は、ほかの「よくあるイライラの理由」について書きたいと思います。もちろん自分にも身に覚えがあることです。

思春期の女子グループの悪口のワースト3に入りそうな話題が
「あの子、すぐ男子としゃべるよね」
「男子になれなれしいよね」。

それ、本当は羨ましいだけですよね。

「男子と仲良くしたい」のにできない女子が
素直に仲良くできる女子に対してひがんでいるわけで。

人がイライラするとき。
その理由の多くは、相手への「嫉妬」

親が子どもにイライラするとき。
実は、子どもに嫉妬しているのかもしれないのです。

ママ(パパ)は不自由です。
ママは涙を我慢します。
ママは自分の感情を抑制しています。
ママは「ママ」を演じています。
ママは「ふっこ」のままでいたいんです。
ママも「やだやだ〜〜〜〜〜!」って言ってみたいんです。
ママも「抱っこ〜〜〜」ってだれかに甘えたいんです。
ママも「よくがんばったね!」って言われたいんです。

だけど「ママ(パパ)」という仮面(ペルソナ)をつけて
その「役割」を生きている。

24時間×365日、ずっと毎日「ママ」を演じている。
ずっと毎日、毎日、「だれか」になって生きている。

大きな大きな責任と不安を抱えながら
一生懸命、『ママ業』をがんばっている。つもり。

その目の前で
「ママ〜〜〜〜! 抱っこ!」
「いや〜! 食べたくない!」
「いや〜 トイレ、ない!」
思ったことそのまんまに生きるカイジュウさんがいる。

やりたいこと、ぜーーーーーーーんぶ、目の前でおこなわれる。

「私だって、好きなことして遊びたいわ!」
「疲れたら、どこでも寝て連れて帰ってもらえていいよね!」

……よくそう思いました(笑)。まだ、素直にそんなふうに思えていたらいいのです。

でも、多くのお母さんは、そんなこと思ってはいけないと思っているか、そんな本音の願望に蓋をして生きています。

「子どもでいたい!」
そんな「本当の想い」には気づきたくないのが「大人」というものでしょう。でも、こんな気持ちには気づけるのではないでしょうか?

こんなに私は一生懸命なのに、どうしてわかってくれないの?

私も、そう思ってしまい、ハタと気づきました。
……それって、子どもへの甘えなんじゃないの???

この世に生まれて数年の子どもたちに「私はがんばってるのに!」「なんで言うこと聞いてくれないの!」と、イライラをぶつけている。

「大人」としてがんばっているのに、子どもの感情をよりも、自分の感情を優先して「わかってほしい」。

……そんな大人って、実は、思い切り「子ども」なのですよね。

本当はみんな「子ども」なのだ。それでいいのだ。

そう。
私は、世の中に本当の意味での「大人」なんていないと思います。みんな「子ども」です。そして、「子ども」でいいんです。

だれのなかにも「大人」と「子ども」がいます。

むしろ、子ども時代から「いい子」をしてきた人ほど、「子どもエネルギー」が心のなかに蓄積されています。

思い切り「子ども」として生きてこなかった「責任感の強い人」「真面目で親孝行な子」ほど、蓄積された「子どもらしくいたい」という思いが募り、目の前で「素直に子どもをやっている子」にイライラするのです。

私の母も、実は、そういう責任感の強い「大人」タイプでした。
姉もそうでした。

姉にははっきりと「あなたは好きにしてきたでしょう?」と言われました。姉が小学6年生から中学2年生ぐらいのときだと思います。

でもね、私は別に「好き」にはしていないんですよ。

姉から見たら「十分、わがまま」だったのでしょう。
でも、私は、母より、姉より、ずっと、「自由でいたい人」なので、私の尺度としては、ちっとも「わがまま」の領域のつもりはありませんでした。

なによりも、表現した「感情」をすべて、母に拒否され最終的にはグググッと「蓋」をされるのですから。

母たちが「自分自身」と比較していたように、私は「友達」と比較してみて、十分に「母の言うことを聞くよい子(自称)」でした。学校でも「頭のいい子」「おりこうさん」として知られていました。

きっと、私が母に叱られていたことなんて、友達から見たら「え!!!」と驚くようなことばかりだと思います。

でも、今思うと、母は、自由にしている(ように見える)私という存在に対して、自分のなかの「自由にしたい」気持ちを刺激されてイライラしていたわけですね。

心理学でいうところの「投影」です。

私はただ素直に感情を表現していただけで、それは子どもにはよくあることです。でも、しつこく母親からそこをダメ出しされたおかげで、私はすっかりその後、人前で感情を出せない人間になりました。おかげで人の自由な感情に対してますます「イライラする人」になりました(汗)。

イライラ人間のコピーです。

「投影」だと認めたくない大人は意外に多いものです。本当の自分の望みに気づいたら、「母」をやめたくなっちゃうので当然かもしれません。

本当の自分の望みに気づいたら、生活が回らなくなってしまう。それが怖いから潜在的に「子どもになりたい気持ち」を閉じ込めてしまっているのですよね。

でも、本当は「100%子どもエネルギーの自分」になれなくても、イライラは減らせます。そして、逆に「100%ママを演じる生活」にも、ならなくてもいいのです。

「本当はもっと自由にしたい!」
「好きなことをしていた!」

そう思うのは、決して悪いことじゃない。むしろ、当たり前のこと。

生まれてから20年、30年と、「私」だったのがいきなり「ママ」になる。しんど過ぎます。少なくとも私は、「子育て」というより「ママを演じる」のがしんどかった。

一人ひとりの子の個性を受け入れることは、私にとっては大変なことではなかったのですが、とにかく「ママらしくする」ことが苦手。

そんな当時のことを歌った曲もあります。『MAMA』という曲です。こんな歌詞になりました。

100%の自分に戻れなくても
100%のママにならなくても
「私のまま」で、いるにはどうしたらいいか。

例えば
・仕事の合間にカフェに行く時間を作る。
・朝、ひとりで散歩する時間を作る(家族の協力を得る)。
……そういう工夫をしていくしかありません。

保育園が「仕事から直行してください!」と怒るような方針ではなければ、仕事帰りにこっそりカフェに寄る。一日15分でいいから、自分の時間を作る。

それだけで、全然日々のしんどさが違ってくるはずです。

私の預けていた保育園は「仕事からまっすぐに保育園に帰ってください」という方針だったので、一ヶ月に一度、子どもたちを置いて、友人と二人でカラオケに行ったりしていました。

「自分だけの時間」を持てないとしても、できれば子どもに戻れる時間を持ちましょう。私などは「今日はママも子どもをやるぞ〜!」などと宣言して、いっしょに泥んこになったり、いっしょにすべり台を「ひゃっほ〜」と滑ったりしましたよ〜(*´∀`*)。

どうしても感情が溢れて、子どもの前で泣いたこともあります(笑)。泣いたからと言って、別に子どもが親を見下すとか、そんなことはありませんでしたよ。子どもが頭をなでなでしてくれて、ますます泣けてきたこともあります。

立ち位置を崩したくない、親子の上下関係をしっかりつけておきたい……というママには難しいかもしれませんが、子どもにイライラをぶつけながら(=子どもに犠牲になってもらいながら)「親らしくいる」ことにこだわるぐらいなら、弱い自分を子どもに潔く見せるほうがいいのではないでしょうか。私は、そう思います。

実際、いつもいつも泣いていわけではなく、シングルマザーのころは泣きたくなるとお風呂の湯船のなかか、車を一人で運転しながら泣きました。泣くとすっきり! イライラも小さくなっていきます。

どんな「ママ」になるのか。
それは自分が決めればいいこと。
自分の「在り方」は自分で決めればいいのではないでしょうか。

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