今回の5リズムのワークショップで
「ゴシップ」に関しての話題が出た。

ゴシップとは「噂話」というニュアンスが強いが
「愚痴」も含まれる。

この「愚痴」について、
私も一度、どこかに記しておきたいと思ったので
今回、私個人の思う「愚痴の流儀」について
書いてみたいと思う。

ちなみに「愚痴」は言うのも
どこかに書くのも同じだと思う。

ポラリティセラピーのメンターは
「言った時点で、その人とつながる」と
教えてくれた。

エネルギーは、とても繊細だ。

どちらかというと
私は普段から聞き役になることが多い。

その延長線上で「愚痴」もよく聞くことになる。
亡き母などは待ち構えていたように
私が家に行くと愚痴が始まったものだ。

少しなら聞いていられるのだけれど
言葉に「毒」が入り始めると
正直、受け止めづらくなっていく。
返事に非常に困ってしまう。

そもそも私は、自分にとって敵意のない相手の愚痴に
(てきとーに)同意することはできない性分です。

そして、私も人間ですので
私への配慮が感じられず
「毒」の言葉が続くと、だんだん
自分が「ゴミ箱扱い」をされているような
嫌な気分になります。

「私はこの人に大切に思われていないんだなぁ」
……と悲しくなります。

さて。
ここから本題の『愚痴の流儀』。

「愚痴」を言うときに
私が決めていることがある。
それは次の2つ。

①「生」の状態では言わない
②伝えていい相手にしか言わない

不快なことがあったとき
人は「愚痴」を言いたくなる。

このとき、まだ気持ちが腑に落ちていないのに
無理に「赦す」必要はないと思う。

でもまだ自分のなかでは現在進行形で
「恨んでいる状態」、つまり
「生(生々しい感情)」のまま言葉として発すると
良くないエネルギーは、相手にダイレクトに伝わりやすい。

ゆえに

・それを相手に伝えたいかどうか
・伝えていい相手かどうか

を、きちんと自分のなかで整理してから
「口にする」ことをしたほうがいい
……と思っている。

相手が聞いてくれるからと甘えて
言い過ぎていないか。

相手に愚痴ることによって
自分がその相手になにを求めるいるのか。

同意してほしいのか。
ただ聞いてほしいのか。
さらなる第三者に伝えてほしいのか。
自分の正当性を拡散してほしいという意図があるのか。

↑↑ ここも重要。

愚痴を聞かせるということは
相手に「ネガティブなエネルギーを与える」ということ。

それでも聞かせたいかどうか。
聞かせても許してもらえる間柄かどうか。
相手の愚痴も普段から聞いてあげているかどうか。

「愚痴」というのは
言っている本人が想像している以上に
凄まじいエネルギーなんだと思う。

私も自分の負のエネルギーが
どのようなものなのかわからないし
(だいたい自分のことはわからないものだ)
かなりいろいろ書いてきたが(特に夫の愚痴 汗)
最近思うことがある。

愚痴こそが、
幸せにつながる道での
「ブレーキ」ではなかろうか。

愚痴が、自分の幸せを
遠ざける一番の要因ではなかろうか。

幼少期からそうだが
女子はある程度の人数が集まると
必ずこの「愚痴」がなんらかの形で
噴出していくので厄介である。

私は、嫌なことがあっても
基本的にあまり引きずらない。

意地悪されて相手さえ
「ごめんね」と言われたら
その瞬間から仲直りだ。
だからまた女子に騙されるわけだが。
(今は違うよ)

よほど深い関係性からの
裏切りでもなければ
さほどショックでもないのは
人に愚痴られること
人に裏切られることに
慣れてしまっているからだろう。

だから、影でぶつぶつ言われるぐらいなら
むしろ直接伝えてもらえたらありがたい。
そのほうが百倍ラクだ。

私はそれに耐え得る精神を
持ち合わせている。

今回参加したワークショップでも
ある人に、
「ふっこさんのことを影でグチってしまった」
ということを伝えてもらえた。

実はそもそも私が誤解していたから
起こったできごとであり
私が余計な言葉を発したからであり
私に要因があったのだ。

でも、彼女がその報告をしてくれたことで
私は「私は誤解してた」と
彼女に伝えることができた。

私が伝えた言葉については
私が言った言葉通りではなかったし
彼女の解釈が入っていたのだが
そのような細かいことはよい。

私が誤解して発した余計な言葉で
彼女を傷つけてしまったのは事実だ。
それについて謝る機会も得られたことに感謝している。

とても健康的だ。
クリアで清々しい。

さらに、私自身、彼女に対して
少し引っかかっていたことも
伝えることができた。
二人きりのときに伝えたほうがよい
内容かもしれないが、少し考えてみて
私は「この場のほうがかえってよいだろう」
と判断して、伝えた。

これについては彼女をおそらく傷つけたと思う。
それでも伝えたほうがよいと
私のなにかが判断したので伝えた。

私のなかではすでにケリがついていることで
彼女の優しさから発動した行為である
ということは重々わかっていたので
悲しみが続いていたわけではないのだが
むしろ、その彼女の優しさに応えることができず
「ありがとう」と言えなかったことを
私は「申し訳なかったかなぁ」と思っていた。

でも自分のなかに起こった
「傷ついた」という感情をうやむやにすることもない
……という判断で、オープンにしてみた。

私が感じた「胸の痛み」が5リズム的にはどうなのか
ティーチャーからの言葉を
聞いてみたかったのもあると思う。 <これはただの私のエゴ

今回は、相手の彼女もエネルギー的に大きい人で
魂の仲間(と勝手に思っている)だから
それを信頼していたからこそ伝えることができたのだと思う。

でも、通常はなかなかそうはいかないものだし
「解決した」と思っていたら
影でさらにその「愚痴エネルギー」が
変な伝わり方をして悪化していることもあるよね。

長くなってしまったので、続編でさらに書いてみたいと思う。

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