しばらく投稿していなかったので、とりあえず今年の2月の話です。
新月の願いごと。知ったのは、10数年前だけれど、当時から想像できないぐらいに浸透していますね。おかげで、ふしぎちゃん扱いも減った気がします(^_^;)
この2月の新月の日、私は、なぜか「やめること」を書きました。
(1)「指摘」と「アドバイス」することをやめる
親が指示命令タイプだったので、私は、子どものころ、それが目上から目下への当たり前のコミュニケーションだと思っていました。
だから中学の部活で後輩たちに教える時に、やはり「叱る先輩」になっていました。でも、もともとそんな一方的な指導が嫌いだったこともあり違和感が……。そして、高校以降は「裁く権利は神様にしかない」を合言葉に、後輩になにも「言わない派」に。
そこから「言う人」と「言わない人」の二極を往復しながら、螺旋を描いて成長してきましたが、ついに「やっぱり言わない」に落ち着きました。
叱る(部活@中学)
↓
言わずに見守る(部活@高校〜短大)
↓
怒るのではないが静かに指摘・アドバイス(後輩へ@社会人)
↓
やっぱり言わずに見守る(娘へ@子育て中)
↓
やっぱり厳しい人も世の中には必要。嫌われ役になろう(年下の友人へ@この数年)
↓
やっぱり言わない ←いまここ
こんな感じ。
人は成長する時、だいたい二極の異なる思考を行ったり来たりしながら螺旋を描きながら上昇していくものだと思います(考え方を変えない人はあまり「心の成長」を目的に生きていないのだろうと思う)。
例えば、上記のように「年下には叱ることも含めてじっくり関わる(思考A)と「年下とはいえそこまで世話する必要も権利もない(思考B)」というのが二つの極論だとする。
そして、二つの考えを実践してみた結果、ほどよい塩梅の思想に落ち着く。Aはだいたい固定観念。イラショナルビリーフ(非合理的な信念・思い込み)であることも多い。でも、Aという思考のフレームを持っている時には、Bの思考を「冷たい人」だと思っていたりもする。だから、余計にそちらの思考には賛成できない。
しかし、なんらかの心の土台を揺るがす大きなできごとを経て、多くの人は当たり前だったはずのイラショナルビリーフに疑念が出てくる。そして、Bを信じるようになる。しかし、そのBも「やはり極端だな」という気づきを経て、今度はAダッシュのような、以前のAとは少し違うA’思考になる。そして、またBのほうがいいのではないかというできごとを経て、B’になる。でも、やっぱりAかもしれないと思うと、今度はA”思考になる……という具合に、揺れながら自分の心地いい思考を目指していく。
その形が「螺旋(らせん)」階段を登っているような感覚だ。
と、私は10代で気づいた。たまたま最寄駅に行くときに、螺旋階段があったからかもしれない。ひとつ登るごとに景色が変わるのも、つくづく螺旋だなと思ったのです。
この螺旋の半径って、人によって全然違うと思うのです。私はわりと小さな円を描きながら、二つの異なる思考を何度か行き来しちゃうタイプ。わりと繰り返します。こちらはADHD(注意欠陥障害)傾向の特性を持つ人に多い気がします。フットワークも軽いし、人の話をよく聞くけど、影響もされやすい。
そして、一度だけ反対の極に行くだけで、中間地点を見つけて落ち着く人もいます。こちらのタイプは、大きな円を描いている感じ。基本的にどちらかというと人の話を聞かず、白黒はっきりさせたがるなど柔軟性はないけれど、一貫性はあるという人はこちら。ASD(自閉症スペクトラム)傾向の軸を持つ人に多い気がします。
私の場合、物事にはっきり白黒つけることもなくグレーのグラデーション重視、人の話も柔軟に受け入れるのですが、この思考の二極の行ったり来たりの往復が、若いころは多かったように思います。前出の「目上から目下」へのコミュニケーションについても、何度もトライして試行錯誤してきてみて、やっぱり「言う」ことの、メリットよりデメリットが大きい気がしたのです。
だから、もう言わない。ほんとに言わない。
「『傷つけ嫌われるリスク』を覚悟のうえで人に積極的に関わる」というチャレンジを、この数年やってきました。でも、つくづく「もういいや」と。あえて悪役なんかやる必要ないやん!と。
悪役なんて、だいたいが自己満足であり、余計なお世話だ。相手には、こちらの本当の思いなんて伝わらない。ムダ足だ。もう、やめだ、やめだ(笑)。
おそらく、しっかり伝えてもバランスが取れるのは、「同じベクトルに向かう仲間」と「家族」だけだと思う。
愛のある関係なら、リアルタイムではなくても、タイムラグがあっても、いつかきちんと伝わる。それ以外の人にはやっぱり「毒」や「攻撃」と捉えられる。リスクが大きい。
人間は、そこまで責任を負う必要はないし、そして、踏み込む権利もやっぱりないのである。
(2)家族に許可を得たり予定を合わせたりするクセをやめる
実家で末っ子だったからか、人に許可を得るクセがある。自分の家なのに「ここのレイアウト◯◯にしようと思うんだけどどうかな?」って、なんで聞いてしまうのか?
それは、私が24歳までいっしょに暮らしていた母の影響だと思う。いつも母の許可がないと動いてはいけなかったので誰かに許可を得ないと罪悪感が勝って動けないのだ。
「いい?」と聞いて「いいよ」と言われて、初めて本当に動いていいと感じられる。これは本当にやめたい。もう母が亡くなって9年にもなるのだから。
だいたい、人に合わせるクセがある。母子家庭で育てたから甘いのもあるけれど、娘の予定を聞いて、タイミングが合いそうだったら車でついでに寄ってあげるとか、そういった「だれかに合わせる」クセがある。
なにか複数の人数で予定を決める時もそうだ。すぐに相手の予定を優先させて、「私が合わせます」と言い切る。なんでこうも「相手軸」なのか(汗)。
以前、メンターに言われたことがある
「あなたはもっと横柄になりなさい!」。
「えっっ! ( ̄◇ ̄;)」
横柄に……なってもよろしござんすか? えええ? 本当に?
私のフィルターは繊細で細か過ぎるので、人のエネルギーをそこに通すたびに、私は不具合を起こしているのだとか……。よくわからないけど、人と会うたびに、疲弊します。それは確か。なのに合わせようとする。
ええいっ。もう52歳。もうちょっと好きに生きるのだ。
というわけで、合わせませんよ、もう。
(3)「承認欲求のための勉強」はやめる
世間はまだまだ「選択」する時に「学歴」を見る。国立某K大学の出身の10数年年下の女子が、引き継ぎの時に同業キャリアの長い私の話をちっとも聞こうとしなかったり、関東某有名私立W大出身の人に取材同行後「取材メモ」を渡されたり。驚いた、そして、傷ついた。
こんなこともあったな。京都大学(あ、書いちゃった)出身の某先生にインタビューに行ったとき、「僕はね、朝日新聞の記者だろうと原稿が書けてなかったら書き直すんだよ。君の原稿もダメだと思ったら書き直すからね」と釘を刺された……が、原稿を見たあとに「前言撤回します。ごめんね。あんたは『書ける人』や」と言われました。
なんで最初から認めてもらえないのか。
人生全般において舐められやすい私(よくいえば親しみやすく初対面で好かれることが多い)のこのゆるい雰囲気もあるのだとは思う。でも、いわゆる高学歴の人たちは、無意識に学歴が低い人を認めていないことが多いのも確かなんでしょうね。
でも、信頼されないって、怖い。悲しい。
勝負する気はサラサラない。でも、私の出身高校も、偏差値70には至らないけど、それなりに進学校。卒業後は有名私立大学関関同立への進学がもっとも多い。でも、神戸大学、大阪府立大学、大阪市立大学を経て一流企業に就職したり、関西医科大を出て開業医していたりと、周囲はデキる人が多い。私が5科目勉強するのが嫌で、保育科は短大の就職率がいいと聞いて、さっさと私立短大への進学を決めただけなのですが。
そんなあきらめ上手な私、あきらめた後悔と、学歴コンプレックスを払拭したい思いから、社会人になってからは本当にいろいろと勉強してきました。勉強し続けているといっても過言ではないほど。
この数年も、放送大学の授業のビデオと教科書をまともに見ていないのに「A」を取っては「あたし、やっぱ天才だね」と夫に言って、「そうやで」と言ってもらって喜ぶという虚しいことしてました。
承認欲求のための勉学。
でも、やめます。
自分の仕事をしっかりこなしてきたし認められてもきたし、満たされているというのもある(3月で放送大学を卒業し、認定心理士申請の単位も取得し終えた)。自分ができることと、やりたいことにズレが出てきたのもある。そして、やりたいことのほうは「学歴」あまり関係ない。
これから勉強するとしたら、学歴コンプのためではなく「本当に必要な学びかどうか」で学ぶことを選択したい。よりよく見せるという「他人軸」でのモチベーションではなく、私の情動に対して裏切っていないかどうかを大切にする。自分がやりたいかどうか。それだけで動くのだ。
それから、やめるのではないけど控えようと思っているのは、「辛い体験」についてSNSに書くこと。
私にとって、辛い体験を綴ることは「不幸自慢」ではない。
同じ体験をしているだれかの参考のために、励ましたくて書いてきたのだ。だけど、身を削ってまで自分の話をしても「不幸自慢」だとか「お悩み相談」だと思われてしまう。自慢したくて書いてるわけじゃないのに。アドバイスや慰めがほしいわけじゃないのに。でも、そもそもその「いつかのだれかのために」が結局は自己満足なのだ。リスクを負う必要は本当はない。
SNS以外のところで「いつかのだれか」のために、私の体験が役に立つのなら書いていこう。
この宣言をしてから、すごく身体が軽くなった。「やらない」と決めること。それは心身をデトックスすることにもつながるのだろうと思います。