『男性的ならば女性的ではないのか?』の続きです。「ジェンダー」の問題でもあるお話。私の肉体的な性は「女性」である。そして、今も「女性」として生きている。子どももいる。

でも、小さいころから「半分男の子」を自認していた。肉体が女性化していくこと、特に、姉がブラジャーを買ったとき、自分の乳房が膨み始めたとき、どちらも喪失感や焦燥感を感じたものだ。フロイトがいうような男性へのコンプレックスとはどうもニュアンスが違うと思う。男の子に憧れていたわけではなく、なんだろう……「思った配役ではなかった」というような残念感があるだけ。

男性になりたいと思ってはいたものの、性転換をしたいほどではなく、「女の子」の自分を受け入れられないほどでもなく。でも、当時でいうとカルーセル麻紀さんのように性別不明(と感じるような)の印象の人にとても魅力を感じていた。

自動車のおもちゃがとにかく大好き

母によれば、0歳の赤ちゃんだった私が一番機嫌がよくなることは、自動車を見ることだったそう。住んでいた7階の廊下から見下ろす道路に走っている車を見ると機嫌がよくなったらしい。特に、好きだったのはコンクリートミキサー車。足をばたつかせて喜んだと聞いている。たしかに、コンクリートミキサー車やはしご車のミニカーを持っていた記憶もある。

小学生のころにスーパーカーが流行ったときには、スーパーカー消しゴムはもちろん集めていたが、黄色いランボルギーニ・カウンタックLP500が大好きで、大きなポスターを学習机の置いてある壁に貼り、お小遣いを貯めてラジコンカーを買ったものだった。ラジコンは私が持っていることがすぐに広まり、仲のいい男子によく貸してあげてたものだ。時代的にも今よりも「男女」が遠かったように思う。ブルーのデニムを着る習慣もなく、女の子がスカートを履かないことは珍しいことだった時代。カウンタックのポスターとラジコンをからかう男子もたくさんいた。

でもね、カウンタックのあのシザードア、リアウィング、ダブルヘッドライト! かっこよくないですか? なぜあれに一緒に興奮してくれる女子がいないのか、不思議でなりませんでした。シザードアですよ!(知らない方は、上記リンク先にてご確認を!) デロリアンのカモメみたいに開くドアは、ガルウィング。開き方が違うのだ。

フリー素材の画像がなく、フリーのイラストにて。これの黄色が私の大好きな車だった

そういえばプラモデルも好きだったし、戦艦武蔵のプラモデルも作っていたものだった。戦艦は、大砲が難しい。小さい大砲は、よく接着剤で指にくっついたものだった。小学生には難易度が高いのかもしれない。「学研」は「科学」を6年間愛読。その影響もあって、電池、モーター、スイッチを買って、自作のロボットや船を作ったりもしていた。一方で、物語も作っていたのだけれど。

遊び相手も、男の子が多かった。幼稚園の年中時代によく遊んでいたのは、しんちゃん。年長と小学1年生のときに毎日遊んでいたのはみっちゃん。どちらも男の子。とにかく気が合うのは、がさつ過ぎないやさしい男の子だった。いっしょに公園で遊んだり、家ではブロック、ミニカー、プラレールなど夢中で遊んだものだった。当時は「超合金」の玩具がもてはやされていたものだ。

しんちゃんは近所に住んでいた友達で、みっちゃんとは幼稚園で知り合った友達。みっちゃんは小学校のすぐそばに住んでいたので、いつも学校が終わると走って家に帰ってランドセルを置くと、自転車で私を追いかけてくる。私は、校区の一番端っこで、子どもの足だと10分強かかる場所なのでのんびり帰る。みっちゃんは、それを自転車で追いかけてきて合流してそのまま私の家までいっしょに戻って遊ぶのだ。みっちゃんはお兄ちゃんのおさがりのタイヤの大きな自転車に乗っているので、サドルに座らずに、いつも立ったまま漕いでいたのを覚えている。

小学1年生のある日、みっちゃんと私が学校の教室で話していると、
「おまえらいっつもいっしょにおるな!」
「あっつあっつぅ〜〜!」
「結婚するんか!」
とからかわれてしまって、私たちは急に遊ばなくなった。

しんちゃんとみっちゃんは代表的な存在だったけれど、実はほかにも、仲のいい男子がたくさんいた。でも、よくある漫画のように男っぽくてたくましいボス的な女子でも、委員長タイプの頼れる女子でもなかった。髪の毛も長く伸ばしてくくっていたし、身長もクラスで1〜2位を争う低さで、とにかく華奢。特技は、鉄棒やうんてい、跳び箱などの機械体操系。

男子と仲がいいのは、本当に“気が合う”からであって、相手に憧れていたわけではない。いっつも二人でいたけど、よくある少女漫画のように幼馴染みの男の子に守ってもらっていたわけもなく、守っていたわけでもなかった。とても対等で心地のいい仲よしの関係。みっちゃんには「将来、結婚しような」と言われて「うん! そうだね!」と答えていたけど、私には「結婚」には憧れもなく、実は、よくわからなかった。ただ、みっちゃんといっしょにいると楽しかった。

余談になるが、人に話すときは初恋相手を「みっちゃん」ということにしているが、実は、私が狂おしいほどの「恋愛感情」を本当に自分の中に感じたのは三十路を超えてからだ。情けない話、今思うと「恋に恋する恋」を24歳で結婚するまでやっていたのだと思う。それまでの彼氏には申し訳ないことをしていたと思う。自分の彼氏が他の女性と話していて嫉妬したこともないし、彼氏と会いたくて辛いと思ったことも一度もない。失恋したときにも「プライドが傷ついて涙が出た」ことはあるが、正直、好きな人が別の人を好きで悲しいとは胸が苦しいとか思ったこともないし、失恋で食事が喉を通らなくなったこともない。「切ない」の意味もわからなければ、盲目的になったこともない。やはりそっちも普通の人とは全然違ったらしい。

それまでにも女子とも遊んでいたけれど、みっちゃんとの仲をからかわれてから、女子としか遊ばなくなった。でも、話が合う子は少なく、けいこちゃんやかずよちゃんぐらい。私の興味は、いつも女子には共感してもらえないうえに、女子のルールはよくわからなかった。

なんで、トイレにいっしょに行くのか。
なんで、「仲よしでいようね」と約束したがるのか。
なんで、お揃いの文具を持とうと誘われるのか。

なんで、AちゃんにBちゃんの愚痴を聞かされて「そうだね」と適当に返事したら、なぜ翌日「ふっこちゃんがBちゃんの愚痴を言っている」ことにされてしまい、AちゃんはBちゃんとラブラブに戻っているのか。

あ、これは「ルール」ではないか。

ドレスに憧れたことは一度もない。お母さんの鏡台でお化粧品を使って遊んだことも一度もない。姉の影響でクラシックバレエを習っていたのだが、踊るのは楽しいものの、女性的なしぐさも発表会の化粧も不思議なほど違和感があり恥ずかしかった。

スカートが嫌いで短パンが動きやすくて好きだった。阪神の野球帽も被っていた(私の影響で数人の女子が野球帽をかぶったこともある)。好きな色は、黄色と水色。組み立てたり、分類して収納したりするのが好きで、中古のラジオを分解したこともある。

わくわくする憧れの人は仮面ライダー。仮面ライダーに助けてもらう女性ではなく、仮面ライダーになりたかった。近くの公園に、小学生が登るには高い遊具があって、そこからよく「とうっ!」と飛び降りていた。

でも攻撃性がないので、男性に乱暴に近づいてこられるのは怖くて、やんちゃで乱暴な男っぽい男子は苦手。小学校のとき、ゴレンジャーが流行ったのだけど、私にはピンクレンジャーはどうでもよかった。私が憧れてなりたかったのはアオレンジャーだった(今思うと、うちの夫、似てるかも)。

小学生のときの憧れの夢は、宇宙飛行士。いつかロケットに乗りたいと思っていた。図書室で宇宙や星の本をたくさん借りていた。

とはいえ、性格がたくましいわけではないので「お前、泣き虫のくせになんで男みたいな格好してんねん!」とよく言われ、姉にも「男の子になりたいって言うけど、そんな怖がりの男子、嫌だわ」と言われていた(笑)。

確かによく泣く子でした。怖がりでした。鉄棒・のぼり棒・跳び箱・タイヤ飛びが大好きで、アクロバットな動きは得意だけど、とにかく攻撃には弱い。

ドッヂボールではいつも最後まで逃げ回って、一人になると仕方なくボールを受けるような小心者。暗いところも苦手。夜になるとベランダにも出られないほどの臆病者。

弱いのに、好みが男子。
男子っぽい中身なのに、見かけは女子。

この複雑さがなおさら周囲から理解を得られなかったのだと思う。こうして書いていると確かに「わかりにくい人」だったんだなと今更ながら思う。

こうした持って生まれた「男の子っぽさ」に加えて、「男子になろう」とした理由が、実は、他にもあったのだ。

私の父は、当時、マツダが好きで、購入した夢の新車は「グランドファミリア」のクーペ。たしか、ハードトップだったと思う(わかるのは男性だけかなぁ)。2ドアで後部座席に乗るには、前列のシートを倒さないとダメだったのだけど、父がすごくクーペを自慢していたのを覚えている。ただ、色がダークグリーンだったので、子どもの私には「なんでこんなに楽しくない色!」と思っていた記憶がある。

そして、そのころの私の自作漫画のキャラクターの名前は、コスモちゃん、ルーチェちゃん、サバンナちゃんなど。つまり、マツダの車の名前を使っていたのだ。

そう、もう一つの理由とは「父に気に入られたかったから」

父が姉びいきで、喧嘩をしても理由も聞かずに私を叱るので、私は、父の好きな「車」への興味に拍車がかかったのだろうと思う。今思うと、なのだが。阪神タイガーズが好きだったことに関しては、もう完璧に「父への媚び」だ。父の好きな「車」と「木工」についてはもともと好きだったけれど、「野球」には本当に興味があったわけではない。

ことあるごとに父にやつあたりをされていた私は、父に好かれたかった。ただ、父と共通の趣味を持ちたかった。

子どもなので「女の子らしくすれば好かれる」という発想がなかった。共通の趣味を持てば仲よくしてもらえるのではないかと、私は「野球」や「釣り」に興味を示し、父と出かける機会を持とうとしていたのだろうと思う。

実は、この記事を書いていて、そんなことに気づいた。

ただ父に愛されたかった。私のボーイッシュぶりがエスカレートしたのは、そんな健気な想いだった。家庭内に男が一人という父のために、自分が男の子になろうとしていた。小学6年生のときには、卒業式以外一度もスカートを履かないという徹底ぶりだった。

「父親から愛されていない」
「父の趣味を共有していっしょにいたい」

異性の親に愛されていないからこそ、私はずっと女性性と男性性について、考えてきたのかもしれない。

その後、私は中学生のときに思い立って「女性性を開花」させることを始めることになる。その話は、また別の機会に。

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