コラム 女と男

女性性と男性性ってなんだ?

女性性と男性性。

最近一般的に広まってきたように感じるこの言葉。一般的に心理的な意味での「女らしさ」「男らしさ」と説明しておられるサイトも多いようですが、よく見ていただきたいのが、女性「性」のこの最後の漢字。

一過性、協調性など、「○○性」という言葉でいう「性」は「性質」のことを指しています。つまり、「人が一般的に『性』をイメージする性質」のことを指しているわけですよね。ゆえに、私が思うには「らしさ」よりも「ぽさ」という言葉のほうがわかりやすい。微々たるものだけど少し距離を置ける。

「女っぽい性質」「男っぽい性質」とすれば、少しわかりやすくなるのではないでしょうか。例えば「気配り」といえば女性っぽいイメージ、「論理的」といえば男性っぽいイメージがありますよね。そういったことです。

そして「多い」「少ない」と「量」で捉えてしまいがちですが、それは違うのではないかと私は最近強く感じています。

「性質」を捉えるのには、見えない「エネルギー」について少しイメージしやすくしておく必要があると個人的には思います。

「すべてのものはエネルギーでできている」とアイン・シュタインが言った……と聞いたことがありますが、エネルギーというものは変幻自在に姿や量、性質を変えるものです。それはまさに、日本語でいうところの「氣」

話は逸れますが、「気」ではなく「氣」と書くのには意味がありまして、この「氣」という漢字が現在「気」と記されるようになったのには、戦後、連合国に統治された時期に、この漢字に強いエネルギーが存在するので「米」という文字を排除し、〆(シメ)るという字に変えてしまえと、連合国に言われたとか言われていないとか。そして、これも余談ですが、私は「氣」を思うとき、いつも金子みすゞさんの「見えないけれどもあるんだよ」という言葉を思い出します。

エネルギーは、変幻自在に姿や量、性質を変えるものということを、再度、記したうえで、さて、話を戻します。

それぞれの人が持つエネルギーは、その人によって異なります。その「エネルギー」の捉え方(判断基準)が、「女性性と男性性」であったり、「五大元素(5エレメント)」であったりするのではないでしょうか。

「料理」について考えてみましょう。その料理が、どんな料理かを説明しようとするとき、「盛り付け」「味付け」「栄養」などいろいろな判断基準があると思います。

「その人となり」を構成する「エネルギー」をどう見て取るか。その判断基準はいくつもあり、そのなかの一つが「女性性と男性性」であり、「五大元素(5エレメント)」であると解釈できるかと思います。

「女性性と男性性」だと、性質が2つしかないのと、実際に具体的に性別を持ち合わせているだけに、わかりにくくなっている気もします。そこで、「五大元素(5エレメント)」についての話を少ししてみたいと思います。

セラピーやアーユルヴェーダなどを学び始めると出てくるのが、仏教の「五大元素(5エレメント)」。この世界を構成する大きな5つの元素のことを指しています。中医学などでは「五行」の話が出てきますが、私が学んだセラピーはアーユルヴェーダに基づいているので、 仏教と同じく「地」「水」「火」「風」「空(くう)」の5エレメントとして学びました。5つそれぞれの元素には異なる要素があります。

5エレメントも、性別を問わずすべての人のなかに存在します。以下のイメージは一部です。

地:生み出す力であり「形」や「組織」にする要素。
水:柔軟に形を変え繋げたり育んだりする要素(親しい間柄の愛)。
火:前に進む原動力・行動力の要素(断る力、許す力でもある)。
風:企画や発想、情報発信。軽やかに動く要素(広い意味の愛)。
空:ほかの4つのエレメントを入れる器の要素を持つ(時間・空間)。

おしゃべりでいろいろなところに顔を出す女性は「風」のエネルギーのイメージがあるかもしれません。冷静沈着な男性を見ると「地」のエネルギーが強い印象を受けるでしょう。体育会系の熱血な男性は「火」のエネルギーのイメージがあるかもしれません。いつも恋している女性は「水」のイメージがあるかもしれません。

個別にエレメントを見てみると、「火」のエレメントは、前に進む積極的かつ行動的なエネルギーのイメージ。よく栄養ドリンクのCMなどでも「火」をイメージさせていますし、昔からスポ根マンガなどでも「よし! なんだか燃えてきたぞ〜!」などと元気を出す表現に「燃える」などと使われていますよね。

そして、「火」は、男性性の象徴とも言われています。

でも、「火」といっても、小さな火、例えば、「ろうそくの火」は儚げで優しくてあたたかいイメージですよね。ろうそくの炎は見ているだけで心が落ち着きます。少し炎が大きくなると「焚き火」などは人の心身をダイレクトに温めてくれます。火を囲むと人は仲良くなれます。火があるから調理できます。ところが、大き過ぎる火は、森や住宅を燃やしてしまいます。これはもう「攻撃」という捉え方ができます。

「水」は、女性性の象徴とも言われています。

「水」は潤いや命を育むイメージがあり、朝露は見るだけで元気が出ますし、飲んで心身を潤してくれる水は必要不可欠。でも、紙や布をグニャクニャに変化させてしまいます。柔軟に形を変え、変化し、雲になったり雨になったり、雪になったり、つかみどころがありません。火と同じようにあまりに多過ぎると人を溺れさせて窒息させてしまいます。ここまでくるとやはり「攻撃的」ですよね。

「火」も「水」も、一人の人間のなかにどちらもありますし、どちらも重要です。そして、持って生まれた絶対量は確かに異なる可能性もありますが、「性質」ですので、自分がどれだけ持ち合わせているかはわかりにくいものであり、また、「性質」ですので、おそらく形や状態はいつも変わり続けるものではないだろうかということです。

例えば、持っている「火」の性質が多いか少ないかではなく、とぐろを巻いて滞っている状態か、いきいきと活性化している状態か。その「氣」の「今の状態」を感じるものではないだろうかというのが、私の仮説ですが、感じたり学んだりを続けているところ。

そして、セラピーの師匠がおっしゃるには、5元素の5つすべてがバランスよく存在しているかどうかが重要なのだそうです。この「バランスを取る」も人によって解釈が違うことがあり、「バランスを取る」ということで、天秤を重い浮かべて、「どちらも同じ量(重さ)にする」と勘違いしている人がいますが、それは違います。

その人にとって心地いいバランスというものは、それぞれ異なるはずです。

同じ量である必要はありませんが、ただ、どれか一つが巨大化したり暴走したりしていると、やはりバランスは悪くなるでしょう。例えば「火」のエレメントが暴走していると、協調性に欠けどんな些細なことでも怒り狂うことになってしまうかもしれません。「水」のエレメントが巨大化していると、人の世話ばかり焼いて、繋がりたがって、どんどん人に依存してしまうかもしれません。ただ、「水」が少なければ、安心して「火」が燃えることができないのです。つまり、「火」暴走しているということは同時に「水」が増え過ぎている可能性も考えられるわけです。

ちょっと難しくなったかもしれませんが、そんな捉え方ができるかと思います。

女性性と男性性の話に戻ります。女性性と男性性も、一人の人の中に両方存在します。そして、この5エレメントのように、持っている量が多い少ないではなく、現在の質感や量、形など、「今、どういう状態か」を捉え、自分の状態を知る参考にするものなのではないか……というのが、私の思う「女性性」「男性性」の捉え方です(私の師匠も、そう教えてくれていたのかもしれませんが、10年以上前のことなので忘れました)。

そして、私は最近になって、わかったことがあります。

私自身は自分のことを、長い間『女性性』が少ないと思い続けてきたのですが、どうやらそうではなくて、私のなかにある『女性性』と一般的に多くの女性が持っている『女性性』が異なるだけで、実は結構女性性は豊かなのではないかということ。また、想像以上に私は自分の『男性性』を封印して閉じ込めてきてしまったこと。この2つに最近、気がついたのです。

でも、ちょっっと長くなってきたので、その話は、また今度にしたいと思います。

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