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人を見て、森を見ず

 写真は今年熊野で出会った大楠。この楠木が切られるのを南方熊楠が守ったそうだ。ところで、写真に私が写っているのだが、どこにいるのかわかるだろうか(笑)引いて撮影しても、大楠の全景がカメラに収まらない。その大きさに重力を感じた。

 2018年は大雨、台風、地震などの影響が多かった。まるで「自然に目を向けろ!」と言われているような感じさえあった。それで森林科学や水文学などの本を読み漁っては、森のなかへ入り、まずは「知識」と「体感」で知ることを始めた。恥ずかしながら、私は楠木の葉っぱを見てもわからなかったし、スギとヒノキの違いもわからない、街のいたるところに植えられているイチョウは自生種がほとんどなく絶滅危惧種だとは知らなかった。

 身近にありながら「知っているような気になっていて、そもそも何も知らない」のが「自然」だったのがよくわかった。例えば、樹齢1200年の木があったとしよう。私は1200年も生きているのか!と思っていたが、実はそうではない。木は重量の3%しか生きていない。残りの97%は死んだ細胞だ。生きた細胞は樹皮の下にある形成層にしかない。しかも、形成層の細胞は3年以内に入れ替わるそうだ。樹齢1200年といえども、年齢は3歳以下ということになる。1200年の生と死の繰り返しの系譜が形になったのが、樹齢1200年の木なのだと思うと、木の見方も変わってくる。

 さらに調べていくと、例えば植林されたスギ、ヒノキの森は管理されないと、山が崩れやすくなったり、土から硝酸態窒素が川へ流れやすくなったりするなど、森から離れて暮らしているから関係ないやでは済まされないことがたくさんありそうだ。

 森の見方を少し変えてみると、面白いことが見えてくる(森だけではないが)。戦後、1haに3000本植林されたスギ、ヒノキは、光を得るために競争を強いられ、自由に枝を伸ばすことも許されず、しっかり根を張ることもできない。しかも、まっすぐ育つようにと剪定されてしまう。これは人口密度の高い都会に住む人々と似ていないだろうか。

 私はボディワークを通して、人を見てきたが、これからは森も見ていこうと思う。空気や土、水を通して森と人は密接に関わっているだけでなく、人の状態を如実に表している。私たちが抱えている問題について、森から学ぶことができるはずだ。

 これは私の妄想だが、森がよりよくなれば、私たちが抱えている問題が自然と解決していくのではないか? とも感じている。森が変われば、人が変わる。なんて面白いじゃないか。

 2019年は「巨木に会いにいくツアー」をしたい。そこで自然を体感し、一緒に考えられる機会ができたらいいなぁと思う。

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