先日、大阪の堺市で開催された日本刀の古式鍛錬を見学してきた。

 堺市といえば、今や世界中から包丁を買いに来る人がいるほどで、丈夫で切れ味抜群、使いやすいと人気を集めている。

 その包丁を作る技術は、堺市で栄えた刀鍛冶からきているのだが、今回見学した日本刀の古式鍛錬とは、時代劇で見たことがある刀匠が熱した鉄の塊を大きな金槌で叩いて刀を作っていくもの。

 こぶし大くらいの熱した鉄の塊をリズムよくトンカン、トンカン叩いて、鉄が伸びやすい方向を見極めながら、叩いては火のなかに鉄を戻し、また叩くを繰り返えす。

 そして、ある程度叩いたら、鉄の塊に切り込みを入れて折り返し、また叩いては火のなかに鉄を戻す、を繰り返す。鉄の塊を1回折り返すと2つの層になり、2回折り返すと4つの層になる。日本刀を作る際は、15回折り返すそうな。

 日本刀の厚みは、7mmなのだが、そこには2の15乗、つまり32768の
鉄の層が存在することになる。それを聞くと7mmという日本刀の細さにびっくりするが、鉄を叩くことで均質化し、その途方もない数の鉄の層が日本刀を丈夫にしているようだ。

 それはまるで植物の葉を顕微鏡で見たときのような肉眼では見えないところにも新たな宇宙が広がっているのと似ているように思う。日本刀には魂が宿る、と言われるのは、小さなものの中にある目には見えない無数に折り込まれた宇宙に「生命」を感じていたのではないか?と想像する。

 私が学んだポラリティセラピーの創始者ランドルフ・ストーンが好きだったという言葉「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」に通じるように感じた。この言葉は世界最古の石版エメラルド・タブレットに記載されている「錬金術の奥義」だそうで、これを図形化したものが六芒星だと言われている。もしや錬金術は生命を作ろうとしていたのだろうか。

 車のような精密機械やちょっといいスピーカーなど使い込めば使い込むほど味が出てくる物もある。それらに生命のようなものを感じるときがあるが、そういった物に生命が宿るという感覚は、とても興味深い。生命が宿ると感じる物とそうでない物の違いは何か? これは探求してみたいものの一つだ。

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